校正者は役目を終えたのか(1)右肩下がりの出版市場
メディアが誤った情報を流すことは、メディアの信頼に関わる大問題だ。誤報とまでは言わないまでも、西暦や商品の値段などの数字、人名や地名といった固有名詞の間違いは、情報の精度に関わる。新聞社には、記事の誤りを正す「校閲記者」がいる。メディアの情報は、正しくて当たり前。「校正・校閲」とは、この「当たり前」を支える仕事だ。しかし、インターネットメディアはどうか? メディアが紙からインターネットへと移り変わっていくこの端境期において、「当たり前」の仕事は、どのような変化にさらされているのだろうか。
校正・校閲は間違いを正す「アンカー」
インターネットが登場するより前の時代、新聞や雑誌といった紙メディアが流す情報に対して、読者は少なくとも「正しいだろう」「間違ってはいないだろう」という信頼を持って接してきた。 一方、21世紀に入って存在感を増し続けているネットメディアの記事には、誤字脱字が散見される。新聞社系のネットメディアがインターネットのニュースサイトに配信する記事も例外ではない。あまりにも誤字脱字が多いと、精度の高い情報源として信頼に足るのか怪しくなってくるというものだろう。 紙メディアでは長年の歴史のなかで、情報の確かさをチェックする仕組みを確立している。著者(もしくは記者)が書いた原稿を編集者がチェックした上で、DTPオペレーターが実際の紙面イメージにレイアウトしてゲラ(試し刷り、校正刷り)を出力。それを校正・校閲者が確認する。これより後の工程には、情報の正しさをチェックする役割の人はもういない。校正・校閲者が、リレーで言うところのアンカーだ。 校正と校閲は、どちらも「間違いを正す」仕事として、同じように語られることが多いが、厳密には違う仕事だ。校正は、著者の原稿が正しく紙面に組まれているか1文字ずつチェックするのが原点だ。そして、「コンピューター」と「コンピュータ」のように、違う表記を編集方針に従って統一したり、誤字や脱字などがあれば、それを正したりする仕事だ。これに対し、校閲は、たとえば「原敬が内閣総理大臣に就任したのは明治17(1886)年である」という文の内容に矛盾はないか、事実関係に誤りがないかといった観点から間違いを正す。