パラリンピック日本人最年長金メダリスト杉浦佳子さん 自転車事故による認知障害で記憶失っても「残っていた感情」
「28歳のときです。ふと気づいたら、自分の二の腕がプル~ンと垂れ下がっていて。さすがにまずいと思って通い始めたスポーツジムに、フルマラソンの参加者募集ポスターがはってあって、これだ! と思ったんです」 20代最後の記念で出場した初フルマラソンを、完走ならぬ“完歩”。これがいい思い出になり、年代ごとに一つのスポーツをやろうと考えた。次の目標には有名な宮古島トライアスロンを据え、30代での目標となったそうだ。 長女出産を経て、トライアスロンへの挑戦が再び始まるのは、30代半ばのこと。 「近所の自転車ショップで出会ったコーチに練習メニューを組んでもらって、スイミングにも通うようになりました」 気がつけば、主婦業、子育て、薬剤師、トレーニングと、超ハードスケジュールの日々に。 「4時50分に起きて、まず洗濯機を回し、前夜に下ごしらえしておいたおかずを詰めて子供の“キャラ弁”を作り、6時10分からの早朝スイミングへ。帰宅して洗濯物を干して子供たちを送り出すと、8時30分の薬局のオープンにダッシュで駆け込むんです」 宮古島トライアスロンを完走して、30代の目標を達成したのが38歳のとき。そして、 「トライアスロン仲間から、自転車の実業団チームに誘われたのが45歳。これが、私のロードレースの始まりです。 その後は、どんどんタイムも伸びて競技会に参加するようになったのですが、わずか2度目のレースで転倒してしまうんです」 ’16年4月、静岡県で行われたレース中に落車事故を起こして、脳挫傷やくも膜下出血、頭蓋骨と鎖骨の粉砕骨折に加えて、三半規管損傷の大けがなどで意識不明となり、ICU(集中治療室)へ。 家族には、「この先、自転車に乗ることはおろか、一生、施設暮らしでしょう」との告知もあった。 「1週間後に目覚めたとき、その間の記憶がまるまる飛んでいることに気づきます。最後の記憶は、レースのスタート前に、隣の選手と『頑張ろうね』と言い合ったことでした」 やがて、高次脳機能障害と右半身まひとの診断が下された。高次脳機能障害とは、事故などのダメージにより記憶や言語、感情などのコントロールが利かなくなる認知障害をいう。外見では判別しにくく、社会の理解を得られにくい障害としても知られる。 「認知機能テストで、物の名前を3つ聞かされ、その直後に、たった3つなのに思い出せずにショックを受けました」 3週間後に、リハビリ専門病院へと転院。 「言語聴覚士さんについてもらい、小学生レベルの漢字や計算ドリル、クロスワードなどに取り組みました。ありがたかったのは、友人が薬剤名の“お薬クイズ”や、昔住んでいたところの写真を毎日のようにスマホで送ってくれたこと。 その写真も、最初は『どこだろう』としか思えなかったのが、見続けているうちに、頭の中でシナプス(神経細胞の接点)がつながる感覚があって、徐々に思い出していけたんです。 最初は人の言葉も単なる音にしか聞こえず、毎日のように取り扱っていた薬のロキソニンすら忘れていた状態から、少しずつ回復していきました」