薪の炎と食材が織りなす絶妙なハーモニー! 新進気鋭のシェフが作る独創的な料理の世界に迫る
鍬本:帰国後、熊本のホテルで少し働いたんですけど、そこでは料理することの楽しさをつかめなくて、辞めてしまいました。 本田:仕事っぽい感じになっちゃうからね。
鍬本:もちろん厳しかったですし、その厳しさに耐えられなかったというのはあります。その後、熊本市から離れて、地方のパスタ屋さんで働きました。そこではやることがすごくシンプルで、料理にプラスして営業的なことも考えるようになって仕事が楽しくなりました。それで、ピザ職人になろうと思って、ナポリ、イタリアに行ったんです。ナポリで丸々3カ月間、ピザを学んで。お店からピザの世界大会に出させてもらったりしましたね。イタリアでは徳吉洋二さんがスーシェフを務めていた「オステリア・フランチェスカーナ」に行ったんですけど、そこで、こんなに料理は自由なんだと感銘を受けました。徳吉さんが作るモルタデッラのハムとか食べたら、こんなにワクワクする料理があるんだということに驚かされて。日本に帰国した後、何をしていいかわからなかったんですけど、東京の徳吉さんのところへ行って、働いたりしました。 本田:洋二(徳吉さん)のところに? 鍬本:もう大ファンで。今のような料理が好きになったのは、徳吉さんの影響です。 本田:イタリアから帰って、東京でもまた修業したの? 鍬本:「HEINZ BECK(ハインツ・ベック)」というお店があって(現在は閉店)、そこに知り合いのコネで入らせてもらえることになったのが、東京に行くきっかけです。1年ぐらいいましたね。そこを辞めるときにイタリア人の日本店のヘッドシェフの方から、これからは道具をどれだけ使いこなせるかが勝負になるよと言葉をかけてもらって。それは今でも覚えています。その後、東京では寿司店の皿洗いとかいろんなところでバイトしていました。それから、熊本に帰って、25歳のときに「K」という店を1人で始めました。
築130年以上の古民家につくられた、熱源は薪と炭のみのレストラン
本田:「K」で結構人気になったんだよね。 鍬本:最初は非公開にしようとか、そういった仕掛けとかは何も考えていませんでした。とにかく知り合いが熊本には全然いなかったので、自分の携帯番号だけを書いた名刺を作って、それだけで営業をやっていたんです。そのときに来てくださって、今でも来てくださる方たちの口コミでお客様が来てくださるようになりました。「K」は「.know」の話をいただくまで続けていました。