吉田鋼太郎「高校の時初めて見た舞台、橋爪功さんのシェイクスピア喜劇『十二夜』に衝撃を受けて。劇団四季の研究生は方向性の違いから早々に辞め」
多分第2の転機となる、蜷川さんに出会うのはいつ頃なのか。 ――まだちょっと先ですね。 四季を辞めた後、シェイクスピアシアターという劇団に入って、そこに2年半いるうちに『ハムレット』を始めとしてずいぶんいろんな役をやらせていただきました。その時の演出家、出口典雄さんの指導というのが今でもかなり身についてます。 その後、劇団を辞めた有志で自分たちの劇団を作ったり、そのうちにバブルが来てグローブ座カンパニーみたいなものができて、そこでもシェイクスピアをやったりして、30代の頃は主に小劇場で芝居ばっかりやってましたね。 その頃の蜷川さんとの出会いとも言えない最初の出会いが、おかしいんですよ。 僕が劇団四季を辞めてシェイクスピアシアターに入るまでの間に、渋谷のパルコ劇場のこけら落とし公演・『下谷万年町物語』(唐十郎・作)のオーディションがあったんです。 ずいぶん大勢が応募して、結局主役は渡辺謙さんが受かって、僕は落ちたんです(笑)。
でも後にパルコから連絡があって、その他大勢のゲイの役で出ないか、って。それで年明け早々に晴海の特設稽古場で稽古が始まって、僕たちは色とりどりの長襦袢みたいなものを着せられて、ゲイの乱舞が始まるわけですよ。みんな奇妙奇天烈に踊ってる。 そしたら蜷川さんが僕を指さして、「そこのお前、お前だよ。もっとちゃんと気合い入れてやれよ、馬鹿野郎」って。すっかりやる気をなくして、翌日からはもう行かなかったですね。 それが蜷川さんとの最初の、出会いにならない出会いでした。(笑) (撮影=岡本隆史)
吉田鋼太郎,関容子
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