“学童のよっちゃん”がパリへ…義足のスプリンター・大島健吾 新たな武器で再びパラリンピックメダルに挑む
大学時代の同級生: 「今までは『新しいのを履いたらどれだけ速くなれるんだろう』ってワクワクがあったけど、今はそれが全く感じられんって言っていました」
世界と戦うための「義足選び」は、なかなか答えが見つからなかった。
■世界パラでパラリンピックの出場権獲得も貪欲に義足の改良目指す
悩める大島選手の心の支えとなったのが、学童保育の子供たちだった。
大島選手: 「だいぶ助かっていますね。自分の中で義足がうまくいかない、陸上がうまくいかない中で、ここにいる間はそれから離れられる感じがあるので」 子供たちから勇気をもらった大島選手は2023年10月のアジア大会で、11秒27のアジア新記録で優勝。きっかけは、やはり義足だった。 大島選手: 「義足も調整して体も変えているけど、でも結局自分の足にとってうまくいかないよねっていうものがあって、そこからもう訳がわからなくなっちゃって、自分の良かったときに一回戻してみようっていう調整で、やっぱりここが良いっていうものを再認識できた」 大島選手は本来の走りを取り戻し、2024年5月の世界パラ陸上では、200メートルで銀メダル。パラリンピックの内定を勝ち取った。
しかしこの時、ようやくいい方向に向かった義足を、あえてもう一度見直そうとしていた。 パラリンピックを約2カ月後に控えた7月、大島選手は義足作りを依頼している茨城県水戸市の義肢装具士のもとを訪ねた。
求めているのは、膝を曲げてもバネが邪魔にならない義足だ。さらなる進化を求めて、ギリギリまで様々なタイプの板バネを試す。
大島選手: 「ギャンブルですからね、分からないことを想定してどうなるか。いま東京のときに戻してぐちゃぐちゃになっちゃうかもしれないとも思うし、新しいものを試して全くダメだってなるかもしれんし」
■直前まで選び抜いた武器でパリへ
8月になって、パリで戦うための義足がようやく出来上がった。板バネのアーチが下に下がり、アーチを取り付ける位置も3センチ下げた。
大島選手: 「同じように見えて全然違って。走っている感覚も違うんですよ」 以前よりも膝が曲げやすくなり、バネの反発力を、より前に進む力に変えることができるようになったという。 大島選手: 「まだまだ義足のやりようはあるなって、全く違うものになったからこそ思った。今はこれがベストだと思うし、全部僕の中で考えられる手は尽くした義足で行こうと決めているので」 悩みに悩み抜いて出した「答え」。今できる最高の走りをするために新たな武器でパリに挑む。