喧嘩の末に司祭を殺害したのに「少しも悔いない」…太宰治「ヴィヨンの妻」で有名なヴィヨンの驚くべきエピソード(レビュー)
書評子4人がテーマに沿った名著を紹介 今回のテーマは「遺言」です *** 太宰治の「ヴィヨンの妻」のおかげで、名前だけはよく知られているだろう。では15世紀フランスに生きたこの人物、実際にどんな作品を残したのか。太宰ファンにはぜひ、『ヴィヨン全詩集』(鈴木信太郎訳)を繙いていただきたい。 冒頭の略年譜でまず驚愕である。パリ大学卒業後、喧嘩で司祭を殺害し逐電。国王に赦免されたはいいが窃盗を重ね、裁判沙汰を繰り返したあげく行方知れずに。 そんな困った御仁が仏文学史上、特筆されるのは、遺言の形式で素晴らしい詩をものしたことによる。 「心は悲しく、身はおちぶれて、(…)年金も受けず、財産とてもない」 自業自得、さすがに反省しきりかと思えば「少しも悔いない」と胸を張る。愚かな自分を嘲りながらも、詩行には奔放不羈な心意気が脈打つ。だが、往年の美女たちはその後どうなっただろうと歌う「バラッド」には、現世の無常をまざまざと思い知った男の悲痛な想いが結晶している。有名なリフレインを引用しよう。 「さはれさはれ 去年の雪 いまは何處」 名句の名訳である。原文を覗けば「さはれさはれ」は単に英語のbutに当たる語なのだから、参りましたと言うほかない。 ちなみに宮下志朗氏による新訳では「それにしても、去年の雪はどこにある?」古語を駆使した鈴木訳を一新する、平明で身近なヴィヨンの登場だ。600年近く前に生きた異国の詩人の遺産は、翻訳者たちのリレーによって受け継がれていく。 [レビュアー]野崎歓(仏文学者・東京大学教授) 協力:新潮社 新潮社 週刊新潮 Book Bang編集部 新潮社
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