東名・沼津IC出たところにある銅像はだれ?「高速道路の父」と呼ばれる大人物が静岡・沼津市にいた
東名・沼津ICを出てすぐの所に、謎の銅像があることにお気づきでしょうか。車で通り過ぎてしまう場所にあるのでじっくり見たことはないのでは。調べてみると銅像になるにふさわしい大人物。しかもこの場所には意味がありました。 【画像】銅像の顔を近くから!(全20枚)
インターを出てすぐ見逃すな!
まずは現地調査へ。料金所を出て、すぐのところに、料金所側を背中にした男性の銅像がありました。 すっくと立って正装しているような。 料金所を出てすぐの分岐を、三島・沼津市街方面に進むと左手に見え、あしたか広域公園方面に進むと右手に見えます。 通り過ぎるスピードでは顔まで確認できず。一旦車を止めて、徒歩で戻ることにします。すぐそばまで近づくことができました。 にむらあつとリポーター: すごく立派な銅像です。「田中清一翁之像」と書かれています。銅像からは沼津の街が一望できるので、沼津市をつくった人でしょうか ということで、銅像の情報をもとめ沼津市役所へ向かうことにしました。
「高速道路の父」田中清一
道路建設課という部署が、銅像について情報を持っているということで話を聞いてみました。 道路建設課 職員: (Q.田中清一さんはどんな人ですか) 高速道路の父と呼ばれる方です。高速道路を使って日本を豊かにしようという田中プランを提唱された方です 銅像の正体は、「高速道路の父」と呼ばれている、福井県生まれの田中清一さん。高速道路を造ることを提唱した人物です。 実業家にして政治家。私財を投げ打ち高速道路の整備促進に生涯を捧げた田中さん。 しかし福井県生まれだという田中さんの銅像が、なぜ沼津市にあるのでしょうか。 ここでさらなる有力な情報を入手しました。もっと調べるなら沼津市にある「富士製作所」に田中研究所があるというのです。
GHQも注目した「田中プラン」
やって来たのは同じ沼津市にある、「富士製作所」という会社。1918年に創業した製材機械製造メーカーです。 富士製作所・酒井順一郎さん: うちの会社の創業者でございます。田中研究所は当時の資料を保管しています 「富士製作所」は、大阪で田中清一さんが立ち上げた会社なんです。福井県に生まれた田中清一さんは、大阪の製材所に勤務しその後、起業。昭和の初期、現在の沼津市に工場を移しました。 当時の資料が敷地内にある田中研究所という施設で見られるということなので、さっそく向かいます。会社の敷地内に神社がありました。その境内にはまたもや田中さんの胸像が。 富士製作所・酒井順一郎さん: 当時の従業員から寄贈されたものです 部下が銅像をつくってくれるとは、それほど尊敬されるリーダーだったのでしょう。 いよいよ、田中研究所へ。1人で自由に見学していいとのことです。手にとった資料には、「田中プラン」について詳しく書かれていました。 それによると田中プランは昭和22年、日本政府とGHQに提出されたそうです。 政府との強いパイプがあった田中さんは、日本を立て直す意見を求められた時に国内の未開発地域へ高速道路を作ることで、食糧の自給自足、資源開発を実現させ、日本を豊かにするという国土開発構想を提唱しました。 後に政治家に転身した田中さんは、二度と戦争を起こさない為の国づくり思いの元、 この構想を実現させていったんだそうです。 なるほど沼津ICに銅像が建つのも納得、田中清一さんは高速道路の礎を築いた大人物でした。 ■店名 NPO法人 田中研究所 ■住所 静岡県沼津市杉崎町11ー11(富士製作所敷地内) ■問合せ 055-921-2233 ※見学を希望する場合は、事前の問い合わせが必要です。 (テレしずWasabeeより)
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