『ブギウギ』モデル・笠置シヅ子は草創期のテレビでも引っ張りだことになるが…服部にとっての<新しい音楽創作の場>テレビミュージカルの内容とは
◆テレビ・ミュージカルショウ 7月15日に「ウェーキは晴れ」(作詞・村雨まさを)とカップリングでレコード発売された「東京のカナカ娘」(同)は、この回の主題歌。 当時の資料によれば、笠置シヅ子は、この「ミュージカルショウ」枠に、月一回のペースで出演している。 いずれも、作・構成は山下与志一、音楽は服部良一、演奏は楽団クラック・スターで、おそらくは映画やステージ同様、笠置のヒット曲の替え歌や、番組のために服部が書き下ろした新曲も披露していたと思われる。 6月9日(火曜)には、「陽気なママさん」で、コロムビア・ナカノ・リズム・ボーイズ出身の歌手・高倉敏、川田義雄とミルク・ブラザース出身のコメディアン・有木三太、戦前、エノケン一座で「女エノケン」と呼ばれた武智豊子がクレジットされている。 ちなみに有木三太は、この頃、俳優座の若手だった仲代達矢の叔父にあたる。 7月28日(火曜)の「アルプスの人気娘」では、千葉信男、武智豊子、山田周平が共演。 おそらくキャストは、レギュラー陣が様々な役を演じていたのだろう。 9月8日(火曜)は「この世もたのし」で、共演はブーちゃんのニックネームで親しまれたジャズピアニスト・市村俊幸、三木トリロー「日曜娯楽版」のシンガーだった楠トシエ。 さらに服部リズム・シスターズもクレジットされている。
◆新しい音楽創作の場 10月13日(火曜)には「私は魔女よ」が放映され、昭和30年代の喜劇映画に外国人役で出演していたジョージ・ルイカー、服部リズム・シスターズが共演。 11月10日(火曜)は「ミュージカルショウ セントルイスの娘」と、この枠は3年間続く人気番組だった。 シヅ子が、実際にどんなナンバーを歌ったのかは不明だが「タンゴと娘」(54年2月9日)、「恋はほんまに楽しいわ」(3月9日)、「歌は翼にのって」(5月25日)、「お祭り騒ぎが大好きよ」(木曜・7月8日)、「君忘れじの河」(8月12日)、「陽気なママさん」(9月9日・10月2日)、「サンタクロースの孫娘」(土曜・12月11日)とタイトルだけでも楽しい。 服部にとってもテレビのミュージカル番組は、新しい音楽創作の場になっていたのだろう。 この番組は、放送時間を移動しながら、1955(昭和30)年も続いて「マンゴうりの娘」(5月11日)、「カナリヤ姫の結婚」(6月8日)、「これは失礼番号違い」(8月17日)、「陽気なサンバ」(9月7日)と毎月オンエアされている。 この頃になると、演奏は東京マンボオーケストラ、少女歌手・宮城まり子も出演。 益田隆舞踊団などダンス・グループも加わり、よりバラエティに富んだものとなっている。 記録によれば「ミュージカルショウ」へのシヅ子の出演は、1955年12月28日(水曜)「おばあちゃんと孫娘」まで続いている。 出演はバレエダンサーの近藤玲子、ハリウッド帰りの中村哲、日劇「ジャズ・カルメン」(47年)でホセを演じた石井亀次郎と、ミュージカル番組らしいキャスティングである。 テレビ草創期、笠置シヅ子と服部良一が、3年に渡って作ってきたテレビミュージカルは、これまでの笠置シヅ子と服部良一研究ではノーマークだった。 遅れてきた世代にとっては興味津々である。 ※本稿は、『笠置シヅ子ブギウギ伝説』(興陽館)の一部を再編集したものです。
佐藤利明
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