「国境通信」農園の候補地を下見 タイ人の地主に不審者と間違われる 川のむこうはミャンマー~軍と”戦い続ける人々の記録#3
2024年3月にこれまで勤めていた放送局を退職した私は、タイ北西部のミャンマー国境地帯に拠点を置き、軍政を倒して民主的なミャンマーの実現をめざす民衆とともに、農業による支援活動をスタートさせた。タイとミャンマーの国境地帯には、両国の関係を背景にした独特の空気がある。不審者に間違われたこともあった。 【写真で見る】ジャングルの道なき道を進んだ先にあった新しい農園候補地
避難民の世話役・キン(仮名)が見つけた農園候補地
GMCの農業支援事業では、適した農地を見つけることも課題の一つとなっている。事業スタートの目処がたったのは1年以上前。その当時の調査で適していると思われた場所でも、一年を通して見ると、流れていたはずの川の水が乾季を迎えると枯れてしまうことが分かったり、土壌が栽培に適していなかったりと、さまざまな問題が起きていた。 GMCのスタッフとして避難民の人々の世話役のようなことをしているキン(仮名)が、新しい候補地を見つけたという。彼自身もミャンマー民主派の活動家で国軍にその身を追われる立場だ。候補地は街の中心部からもそれほど離れておらず、近くを流れる川は乾季の間も枯れることはない場所だという。避難民たちの多くは民主派のネットワークで繋がっており、常に情報を交換しあっている。ちょうどアイン(仮名)の農園にいる時にキンから「見に来ないか」と連絡が来たのでアインに伝えると、すでにその場所の話は聞いていたそうだ。「まだ行ったことはない」と言うので、誘って一緒に行ってみることにした。
軍から銃撃されたアイン
運転席と助手席で肩を並べると、色々と話を聞きたくなってしまう。しかし、どんな不幸に見舞われたのか、軽々しく質問するのは気が引けた。「クーデターの後、あなたに何が起きたのか、聞いてもいい?」恐る恐る尋ねた。「もちろんだよ」とアイン。そうして、彼がシャン州の小さな街で農園を運営していたこと、クーデター後にCDMへの資金援助を続けていて、軍に追われる立場となったことなどを知った。「3回軍に捕まりそうになった。1回目は大したことなかったけど、2回目は大変だったよ」と笑いながら話す。潜伏先に軍が来たことを察知したアインは、逃げ出すために車に乗り込んだところで取り囲まれ、一斉に銃撃を受けた。「実弾じゃなくて助かった。ゴム弾だったから」。車のガラスやミラーを破壊されながらもアクセルを踏み込み、なんとか逃れたのだという。とても笑いながら聞ける話ではなかった。