アイディアが浮かばないのは何故? 「柔軟に脳が働く」習慣
斬新なアイディアを生み出そうと、机に向かって頭を働かせるほど、考えは凝り固まってしまうものです。常識を取り払い、柔軟に思考する方法とは? お茶の水女子大学名誉教授の外山滋比古さんが紹介します。 不安を解消するには? ノートを使った対処策 ※本稿は、外山滋比古著「やわらかく、考える。」(PHP文庫)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
不幸なときは読書のチャンス
本とのつきあいがうまく行くには、読者はいくらか寂しいのがよいようだ。どこか心に満ち足りないものを感じているときにしみじみとした本との交流が起こる。病床がしばしば実り多き読書の場になるのは偶然ではあるまい。相当に頑固な人もかすかに不幸なときは心が柔らかくなって他を受け入れやすい。 『ことばの教養』
点をつなげて、線で見る
人間には、点をつなげて線として感じとる能力がだれにもそなわっているのである。したがって、点的論理が了解されるところでは線的論理の窮屈さは野暮なものとして嫌われるようになる。 なるべく省略の多い、言いかえると、解釈の余地の大きい表現が含蓄のあるおもしろい言葉として喜ばれる。点を線にするのは一種の言語的創造をともなうからであろう。 『日本語の論理』
木を見て森も見る
文学研究においても、細部の考証、吟味ははなはだ精緻であるけれども、どういう方向から見ているのか、というパースペクティヴはかなりあいまいなままにされている。一字一句の正確な理解がすべての基礎であるのはだれも否定しない。 ただ、細部をしっかりとらえるには、全体をどのように見ているかの方法論が、たとえ、表面には出ていなくても、無意識のうちには存在しなくてはならないだろう。 『俳句的』
退いて眺める
無季の句は現在時制である。それで切羽つまった感情をぶっつけるように投げ出すことはできても、より深い感動を表出することは難しい。 真のかなしみは、やはり"退いて眺め"たときの情緒となってはじめて普遍の相に達しうる。"退いて眺める"距離はとりもなおさず"静けさの中で回想される"時間の経過に通じる。 『俳句的』