6月初旬のヨネックスレディスで2勝目を挙げた新垣比菜。2018年の初優勝から実に2223日ぶりという長いブランクを経ての勝利だった。シード落ちというどん底から、新たなコーチとの出会い、復活までの道のりを取材した。
自信を持たせて関係性を築いていった
「なんで僕? って思いました。ツアー会場で会えばあいさつくらいはしていましたが、彼女とちゃんと話したこともなかったし」という青木コーチ。 当時の教え子、渋野日向子と新垣は同世代だったものの青木とは接点もない。ただ、練習場でちらりと見る彼女の印象は「きつそうだな……」という感じだったという。「ショットはバラバラ、迷っていそうな感じもあったけど試行錯誤するしかないみたいだったのをうっすら覚えています」(青木コーチ) 関係者を通じて青木コーチに「一度見てほしい」と連絡があり、運営するスクールのある樫山ゴルフランドで“初対面”をしたのは、その年、新垣が17回目の予選落ちをした翌週の月曜日だった。 「結果が出てないと言っても“あの新垣比菜”だし(笑)。じっくり見たこともなかったからいつもの通り『まずは打ってみて』という感じで始めました」という青木。その日は教えるというより何に悩んでいて、どんな球を打ちたいのか、自分がどうなりたいのか会話を重ねた。「選手と信頼関係を築かないと言葉が届かない。だから理解するためにまずは話を聞く」という青木のスタイルでコミュニケーションは進んだ。 その場で「(コーチを)お願いします」と言った新垣に、「一度持ち帰って、周りに人とも相談をして決めてごらん」と熟考をうながしたのも青木らしい。できる限り選手に主導権を持たせて自立をさせるスタイルに「やっぱりこの人にしよう」と新垣は青木に決めた。 見始めた当初はチーピンにドロップしたような球筋ばかりだったという新垣。コーチとして大きく変えたい部分はあったけれど、試合に出続けているプロをシーズン中に根本治療することはできなかった。だから新垣が打ちたいと言った「ドローに必要となる基礎的な部分」を伝え、まずテークバックのイメージだけを変えた。最優先は彼女に自信を取り戻してもらうこと。そのため、ポイントを絞ってすぐにイメージが変わりそうな部分を伝えたのだ。 青木いわく「自信がなさそうで、ゴルフもきつそう、というか好きじゃなかったと思う」という状態の彼女にとって、青木からのシンプルなワンメッセージのアドバイスは、今後取り組むべき方向性が見え、自分の意思を尊重してサポートしてくれるコーチの力は大きかった。 その年の9月、日本女子オープンではこのシーズン初めて30位以内に入り、翌々週の富士通レディースでは3位に入り、およそ1年半ぶりとなるトップ10フィニッシュ。11月のステップ・アップ・ツアー最終戦では優勝を遂げた。成績は徐々に上向いてきたものの、スウィングのメカニクスは突貫工事の状態。だから2人の関係性も信頼し合う選手とコーチというところまではいっていなかった。 「意志は強いんだけどガツガツ来るタイプじゃない。どうなりたいかは本人にゆだねたかったので無理に距離を縮めるようなことをもしませんでした」という青木は時間をかけて新垣を変えていった。 翌2023年シーズン、地元開催のダイキンオーキッドレディスで予選落ちとつまずいたが、この時も「結果を出したい試合かもしれないけれど、まずは今やるべきことをやっていこう」とフォロー。このシーズン、トップ10入りこそ1回だったものの予選落ちの回数は激減し2人の距離も縮まっていった。