「コックリさん」のブームはどう始まったのか? 明治時代にアメリカから伝わった!? 日本では「おひつ」のフタが使われた
その昔、狐などの霊が降臨して、人々の問いかけに答えるという「コックリさん」という遊びが流行ったことがあった。その実態は、参加者の潜在意識によるものであることはいうまでもない。しかし、参加者を不安に陥れるという点で、そこには一種の危険性が潜んでいる。いったいどのような場合に、悪影響を及ぼすのだろうか? 潜在意識が作用する心理ゲームに潜む危険性とは? 白い紙に記された赤い鳥居。左右に「はい」「いいえ」の二文字と、その下に平仮名の50音表がびっしりと記されている。その鳥居の上に10円玉を置き、人差し指を添えてこう話しかけるのだ。 「コックリさん、コックリさん、どうぞおいでください。おいでになられましたら、『はい』へお移りください」 しばらく反応がない…と思いきや、10円玉がゆっくりと、「はい」の位置に移動してびっくり。そこから、霊との交信が開始される…というのが、「コックリさん」と呼ばれる心霊ゲームだ。 その後、参加者の問いかけに対して、指を添えた10円玉が、自ずと答えとなる文字を指し示していくというもの。途中でやめたり、バカにしたりすると大変なことになると脅されるから、恐怖感やスリルも満点である。 これが流行ったのは1970年代のこと。1973年に発表された少年漫画『うしろの百太郎』(つのだじろう氏作、心霊現象をテーマにした漫画)の大ヒットが後押ししたこともあって、「コックリさん」のブームが到来。多くの小中学生たちが取り憑かれたように、この遊びにのめり込んだものであった。 もちろん、多くの子供達が半信半疑ではありながらも、10円玉を動かしているのが、自分自身であるとは思っていない。狐などの霊が舞い降りてきたと本気で信じる子供たちも、少なからずいたのである。その後、10円玉が質問に答えて、文字をなぞっていくところまでに至れば、もはやこの時点で霊の存在を信じ込み、そのなぞる文言を盲信してしまうという危険をはらんだものであった。 当然のことながら弊害も多く、これを信じる子供達がパニック状態に陥ることもあり、多くの学校で禁止されたようである。今の60歳前後の方の中には、実際にリアルタイムで体験した方も少なくないはずである。 ちなみに、種明かしをすれば、これは参加者の潜在意識がもたらしたもの。霊魂の存在を匂わせることで心理的な不安を煽り、その動揺が起爆剤となって、すでに予測された文面を無意識のうちになぞってしまうという、人の心理を逆手に取ったゲームだった。 人々を不安と恐怖心に陥れることから始まる魔女狩りとは? これは、もともと西洋ではやっていた「テーブル・ターニング」が起源で、数人がテーブルを囲んで手をのせて質問を投げかけると、テーブルが勝手に動いて、イエスかノーかの判断を下してくれるというものであった。 妖怪博士として名高い井上円了(えんりょう)氏によれば、明治17(1884)年に下田沖に漂着したアメリカ船の船員が日本に伝えたのが始まりで、日本ではテーブルの代わりにお櫃(ひつ)の蓋が用いられたという。お櫃の蓋を、立てかけた3本の棒の上に被せ、その不安定な状態のまま行ったというのだ。当然のことながら、不安定ゆえ、わずかな力が加わるだけで動く。蓋が「こっくり、こっくり」動くというところから、いつしか「コックリさん」と呼ばれるようになったのだとか。誰が言い始めたのか定かではないが、狐や狗、狸の霊が働いているとの説まで飛び交い、「狐狗狸」と当て字されるようになったようである。 前述の井上氏によれば、人は長時間にわたってじっとしていることに耐えかねて、自然と動いてしまうものだという。これはその習性(不覚筋動)を利用したもので、「動きたい」という指の働きが「潜在意識」に支配され、無自覚に体が動いてしまうというのだ。 となれば、コックリさんへの質問のうち、指が反応して答えとして導き出すものは、参加者がすでに知る情報、あるいは予感できうる内容でしかあり得ない。そうでなければ、参加者の内の誰かが、意図的に動かしたと考えられるのである。 このゲームの大きな問題点は、まさにここにある。誰かが、自身に都合の良い答えに指を移動させることで、参加者全員がその答えに支配されるという危険性をはらんでいるのだ。意図的でなかったとしても、指がなぞった文言に参加者が囚われてしまい、その結果、異常な行動を起こしたり、精神に異常をきたしたりするなど当時はパニック状態に陥る人が続出。その危険性が指摘されているのだ。 井上氏もこの点を危惧。迷信であることを盛んに提唱したのも、そのためであった。盛んにこれを信じることの危険性と愚かさを説いたものの、結局、多くの人々にはなかなか通じなかったようである。 しばらくしてブームが去って一安心と思いきや、昨今、またもや復活。「チャーリーゲーム」なるものに姿を変えて、密かなブームを迎えているとか。こちらは、2つの「イエス」と2つの「ノー」と書かれた紙の上に、鉛筆を十字に重ね置き、「チャーリーさん」と呼びかけて、イエスかノーの答えを導き出そうというもの。本質的に、「コックリさん」と何ら変わるものではない。 何れにしても、この霊の存在を匂わせながら、人々を不安に陥れる中で繰り広げられるこの遊びが、個人レベルのものであるうちはまだ影響は限定的である。この精神作用を集団として、悪用あるいは利用して行われるようになることこそ、本当に恐ろしいのだ。施政者が人々に悪霊の祟りを標榜して社会不安を煽り、その源を断つとして魔女狩りのような行動に人々を導くことこそ本当に恐ろしい。 その挙句、動乱まで巻き起こして、政権交代を目論もうとする輩も、歴史を振り返れば数多く見られたものであった。井上氏が哲学者でありながらも妖怪のことを取り上げたのは、人々が怪事を固信することで、文明の進歩が害され、社会に大きな弊害をもたらすことを恐れたからである。 鬼や妖怪のことを主として取り上げる筆者にとっても、恐怖心を必要以上煽って人々を不安に陥れるような行為だけは、厳に慎みたいと思うのである。
藤井勝彦