「ロックごっこ」の延長を、まだずっとやってるだけーー走り続けて33年、稲葉浩志が語るB'z、そしてコロナ禍の葛藤
「ロックごっこ」の延長を、まだずっとやってるだけ
稲葉は岡山県津山市出身。上京して横浜国立大学教育学部に入学後、ボーカルスクール「Being音楽振興会」にも通った。そして、大学卒業後に出会った松本孝弘とのセッションを経てB'zを結成し、1988年にデビュー。90年のシングル『太陽のKomachi Angel』で初のオリコン1位を獲得し、またたくまにスターダムへ。以来約30年、B'zはその王座から降りたことがない。 自身の特徴的なボーカルスタイルは、ハードロックの影響を受けながら独自にアレンジしたものだという。
「歌詞が聞き取れないといけないな、というのがありましたね。日本語のロック系のジャンルの歌詞だと、暗めの雰囲気のものが多かったんですけど、普段目にしているような光景を、ハードな音で歌うこともやってきました」 シングル1位を獲得した楽曲は実に49作。連続1位獲得記録は20年にも及ぶ、「モンスター級」のアーティストだ。しかし、稲葉の自己分析は極めて冷静だ。 「あまり大衆的な音楽には聴こえないかもしれないので、そこは不思議なところなんです。ドラムが大きくて、ギターにディストーションが思いっきりかかってて、ギターソロがいつも何小節かある音楽は、それまでのトップ10に入るような曲には、ほぼなかったと思います。ただ、メロディーは非常にキャッチーだし、そこは意識してるのが功を奏しているのかな」 「思い返せば、(B'zの)名前がのしかかってきたことはあったかもしれないんですけど、ある時から逆に、『B'zが好きな人が集まって、ああだこうだ言って、B'zっていうものを育てましょうよ、面白がっていきましょうよ』みたいな感覚があって、そんなにのしかかる感じもなくなってきました」 しかし、多くの人が「B'z」と聞いて思い浮かべるのは、フロントに立つ、ボーカリストの顔のはずだ。それでも稲葉は意外な言葉を続ける。
「僕だけに関していえば、B'zが自分のものとか、そういう感じはあんまりないんです。もちろん、皆さんの思いの詰まったB'zというチームを代表して、その名に恥じないようなパフォーマンスをしようという気概は持ってやってます」 ならば、「ひとりの人間としての稲葉浩志」と「B'zの稲葉浩志」は、どういう関係なのだろうか。 「どっちも自分ですね。ああいうパフォーマンスしてる自分っていうのは、小学生とか中学生の頃から、自分の中にあって。部屋でステレオを大音量で鳴らして、壊れたギターを抱えて、エアパフォーマンスをずっとしていたわけです。だから、その『ロックごっこ』の延長を、まだずっとやってるだけだなって思っているんですよね、正直言うと」 しかし、そんなロック少年は、日本中に何万人といたはずだ。なぜ稲葉は、「ロックごっこ」で本当に大衆を熱狂させることができたのか。 「人との出会いでしょうね。一番最初は長戸大幸さん(B'zをデビューさせたビーインググループ創業者)。そして、長戸さんに松本さんを紹介してもらって。そういうことがなければ、自分はロックごっこをやってるサラリーマンか学校の先生になってたかもしれない」