女性が32%の町も 突出して女性が少ない原発事故被災地 男性主体の復興に未来は #知り続ける
浪江記録誌、94人中11人のみ
浪江町は2017年春に町中心部の避難指示が解かれたが、多くの町民が今も避難先に生活基盤を移したままだ。原発事故前約2万1500人だった町内の居住人口は現在約2200人にとどまる。男女比はおよそ3対2だ。 町は21年、東日本大震災と原発事故から10年の節目に「震災・復興記録誌 未来へつなぐ浪江の記憶」を刊行した。237ページの分厚い冊子には、全町避難から、避難先での生活、避難指示解除後までの状況が記されている。 町民が避難生活や復興への決意を語るインタビューも随所に盛り込まれ、巻頭には、当時の町長の「皆さんの『ふるさと浪江』への想いをしっかり反映したいと考え、町の各地区、さまざまな世代、立場の方々から話を伺った」というあいさつ文も載る。だが、行政区長や団体・企業代表ら肩書のある年長の男性ばかりで、女性は94人中11人しか登場しない。 「避難、そのとき私たちは。」の項目では、当時の町幹部ら男性5人が発生1カ月を振り返り、「避難所では男性が大抵分配を仕切っているから女性の方が困っていましたね」との証言が載るものの、女性本人の言葉はない。町民の70代女性は「見知らぬ土地での育児や介護に苦労し、仮設住宅で見守りや集会運営に奔走した女の人はたくさんいたのに」と話す。
「震災前の進め方に戻った」
町は第1~3次復興計画を策定してきた。それぞれ町民や有識者から策定委員を選び、第1次は公募の21人を含む約100人、第2、3次はそれぞれ約20人の委員がいた。だが、いずれも女性の比率は1割程度だった。第2、3次では公募はなかった。 第1次で委員を務めた佐藤博美さん(53)は震災時、町の小学校で唯一の女性PTA会長だった。避難していた山形県から福島県内で開かれる計画策定のための会合に参加し、「もっと若者や女性を呼んでほしい」と訴えたこともあった。 復興事業が進む一方、行政は避難を続ける住民の声を聞くことが年々難しくなる。だが、橋渡し役となる15人の町議や49ある行政区の区長に女性は一人もいない。佐藤さんは「全町避難中は国も町もいろんな住民の声を施策に反映させようという雰囲気があった。でも、避難指示が解除された後は震災前の物事の進め方に戻ってしまった気がする」と指摘する。