すっかりエンターテインメント化してしまった都知事選、日本における「東京の真の役割」とは何なのか?
なぜなら、再開発は民間が事業主体で、東京都ではないからである。明治神宮という一組織が、今後の運営に関して資金を多少捻出する必要があるために、再開発のときに樹木を数百本伐採するというだけのことだ。 東京都は現在事業者に樹木保全策を求めているが、法的な拘束力はないとされる。太陽光パネル設置を無理に推進することで、日本中で何百万本もの樹木が伐採され、山が切り崩されているのはある意味無視しているのに、東京都心の木が数百本切られるとなると大騒ぎになる。
これでは、ポスター騒ぎと本質的にはあまり変わらず、騒ぐために騒いでいるようなものだ。かつ、東京の問題は日本の問題として盛り上がるからやっているのである。つまり、論点になる政策はないに等しい。 ■「少子化対策」よりは「子育て・若者支援」に あえて言えば、都知事選の話題に一瞬なりかけたのは、少子化問題だ。少子化が進む日本で、合計特殊出生率がついに1を割って0.99となってしまった全国最低の東京で、少子化対策を競い合うとメディアははやし立てた。
しかし、実際に各候補者が提案している政策は、どちらかというと出生数を増やす政策というよりは子育て支援や若者支援である。これは三重の意味で正しい。 第1に、現在の日本では(実際にはほぼすべてのアジアの国で、実は多くの欧米諸国でも)、いかなる政策でも出生率を上げることは難しいからだ。 第2に、選挙対策としては、国を憂うる政策よりも、自分自身に配られる現金のほうが圧倒的に効果的だからだ(これはまさに日々、1回の選挙ごとに、未来の日本よりも今日の自分の懐が大事という度合いは、驚くほどの勢いで高まっている)。
第3に、本当に人口を増やすためには、一地域で対策をとってもあまり意味がないから(例えば、出産するための住居を埼玉から東京に移すだけだから)である。 ■「政局祭り」に仕立て上げたかっただけ? しかし、それならばなぜ、メディアは少子化対策が都知事選挙の争点になると思ったのか? それをあおったのか? それは、国政選挙の代理戦争ということにしたかったからである。そして、それは人々にとっても違和感がないし、かつ、大手新聞やテレビ局などの政治部記者としては盛り上がる。つまり、政局祭りに仕立て上げたかっただけなのである。