すっかりエンターテインメント化してしまった都知事選、日本における「東京の真の役割」とは何なのか?
しかし、東京都知事選の事件のニュースは全国を駆け巡り、「日本人はどうなってしまったんだ」「もう日本は終わりだ」となる。「愉快犯」のような行動を取る者にとってはやりがいがあるのだ。だから第2の広告効果も出てくる。東京での話題は日本での話題だ。アクセスが伸びるのだ。 ■「ポスター」掲示板を廃止すればいいことづくめ? ところで、せっかくだから、今回のようなとんでもないことをしている人々への「とっておきの対策」を伝授しよう。それは、候補者のポスター掲示板を廃止することだ。
そもそもポスター掲示板なんていらない。顔と名前だけだからだ。ルッキズム批判をするなら、いっそのこと、選挙ポスターに顔写真を貼るのを禁止すべきだ。 名前もどうでもいい。知名度よりも中身だ。政策を掲示するには掲示板は適さない。だから、もともとポスター掲示板はいらないどころか、存在自体がおかしいのだ。その代わり、送られてくる投票用紙に冊子を同封することとして、候補者1人当たり1ページの政策提案を提出させることにする。その際は写真・イラストは禁止し、文字だけとする。これで、少しは政策で決める選挙になるはずだ。
「なんてすばらしい提案なんだ! 小幡くん」とは、誰もほめてくれない、しかし。なぜか? それは、前述の「第3の事件」が示すように、ほとんど誰も政策には関心がないからだ。東京都知事選挙では政策の論点はないに等しいのだ。 実際、1995年以降、東京都知事は全員、いわゆるタレントや知名度が極めて高い候補が当選している。タレント出身であること自体悪いことではないが、これは政策よりも知名度が重要視されていることの表れであることは事実だ。
なぜ、東京都知事選挙では政策が重要視されないのか。それは、東京には問題がないからである。困っていないからである。 さすがにそれは言いすぎだが、東京以外の地域に比べれば圧倒的に困っていないし、政策を必要とする問題が少ないのだ。問題はもちろんあるし、困っている人も大勢いる。しかし、それは都知事による政治的な出番ではなく、細かい個々の問題を丁寧に解決していくことが重要であるのだ。 例えば、一応、都知事選の争点になるかもと言われている神宮外苑の再開発問題であるが、これはまったく重要でないどころか、そもそも争点の土俵に乗らないのではないか。