「日本人はしつこく酒をすすめ合う」イエズス会宣教師もドン引きした「飲み会文化」の歴史
酒を通じて親睦を深める「飲みニケーション」。なぜ日本人は飲み会を行うようになったのだろうか? 日本における酒の飲み方について、振り返ってみたい。 ■戦国時代の「激しい飲み会」 日本人の酒の飲み方について、面白い記録がある。キリスト教を布教するため、戦国時代の日本を訪れたイエズス会宣教師ルイス・フロイス(1532~1597)の記録で、『ヨーロッパ文化と日本文化』(岡田章雄訳注、岩波文庫)には次のようにある。 「われわれの間では自分の欲する以上に酒を飲まず、人からしつこくすすめられることもない。日本ではしつこくすすめ合うので、あるものは嘔吐し、また他のものは酔払う」 「われわれの間では酒を飲んで前後不覚に陥ることは大きな恥辱であり、不名誉である。日本ではそれを誇りとして語り、〈殿はいかがされた〉と尋ねると、〈酔払ったのだ〉と答える」 泥酔どころか、嘔吐するまで飲む。しつこくすすめ合うから、酒に強くない者も無理して飲まざるをえない。日本社会の悪弊は400年以上前には生まれていたのである。 ■日本の「飲みニケーション」が生まれた背景 ただし、戦国時代の飲酒事情がそのまま現在の「飲みニケーション」につながるわけではない。 酒席での付き合いも仕事のうちとの考え方が経営陣に限られず、末端の平社員にまで浸透したのは、戦後の高度経済成長期のこと。連夜の接待にも不平一つ言わず、社畜として奉仕する社員が優秀な営業マンと称えられた。 大学生を中心に一気飲みが流行り出したのは1980年代のこと。バブル経済が最高潮を迎える頃には自動販売機やコンビニエンスストアで24時間いつでもアルコールが買えるようになったこと、朝まで営業する居酒屋チェーンも増えたことなどから、急性アルコール中毒で搬送される学生、命を落とす学生が現われるようにもなった。 バブルが崩壊してなお、酒が飲めなくては、職場の人間とちょくちょく飲みに行かなくては、円滑な人間関係は築けず、社会人として一人前とは言えないとの因習はなおしばらく生き続けた。 ■衰退しつつある「飲みニケーション」 航空機内や駅のホームが全面喫煙となり、飲食店の分煙化が進み出す頃には、会社の経費で落とせなくなったことも関係してか、職場の人間同士で飲みに行く慣習は急速に廃れ、深夜や朝方に見かける酔っ払いの大半は私的な飲み会を楽しんだ若者へと変化した。 価値観の変化は「飲みニケーション」を完全否定したわけでも、根絶に追いやったわけでもない。立場が下の人間にも選ぶ権利が認められるようになっただけなのではあるまいか。 話を酔っ払いに戻すと、日本人がヨーロッパの白人と比べ、アルコール分解能力で劣ることは科学的に証明されている。日本人の10人に1人は訓練しても飲めるようにならない完全な下戸で、3~4割は少量の飲酒でも酔ってしまう。そのメカニズムは遺伝子の分析からも明らかにされている。 少量のアルコールで酔ってしまう人が日本人全体の3~4割をも占めるのであれば、事故や傷害の危険がない限り、他人に迷惑をかけない限りにおいて、「酔っ払うこと」に関して甘くなることは、仕方がないのかもしれない。
島崎 晋