<東日本大震災4年> 報道されない「マイナー被災地」のいま
野田村にとって、これからの最大の課題は産業振興です。現在の人口は約4500人。震災前に比べて、およそ150人減ったことになりますが、人口流出に歯止めをかけるためにも、産業振興による地域の活性化は不可欠です。 「震災によって自宅を失った人だけでなく、若い人などが仕事を求めて北にある久慈市や内陸の盛岡市へと移ってしまった。しかし、2013年から2015年で、約250人も村民が増えているのです。復興が進み、住む場所や仕事があれば、人は戻ってくとわかりました。けれど、産業振興に明るい展望はありません」と宇部さん。効果的な具体策が見出せていない町の現状です。 震災前に抱えていた課題が、震災によって更に表面化した被災自治体ですが、「ブランド被災地」などでは、震災観光ツアーやコンパクトシティ構想などによって、震災によってできた外部との連携を有効に使いながら・大胆な町の改革が試みられています。しかし、「マイナー被災地」では、そもそも外部との連携も少なく、震災復興と震災以前の課題克服を一挙に進めるような手法が取りにくいのです。
2つの原発に近い:福島県広野町
福島県浜通りにある広野町は、津波や地震の影響で2人が死亡し1人が行方不明。300以上の住宅が全半壊となりました。 さらに深刻だったのは、東京電力・福島第一原発の事故の影響です。福島第一原発から30キロ圏内、第二原発から10キロ圏内にある広野町は、避難指示対象地域となり、多くの住人が町外に避難しました。震災前は約5500人が広野町で暮らしていましたが、今年1月末現在で約3分の1となる1800人が町に戻り、約3000人が週に1度以上、日中を広野町で過ごしていると町は考えています。
「日中、約3000人の町民が町で生活し、原発作業や除染作業のために広野町で長期宿泊する人などが約3000人、合計で震災以前よりも多い6000人が広野町で生活を営んでいる計算になります」 そう分析するのは遠藤智町長。まずは生活インフラである商業施設などが再開し、今いる町民の生活負担を軽減させることが優先事項と言います。その一方で、町外に住む町民のうち、約4割が健康を不安視し、3割が放射線量を心配している姿が、町の住民アンケートから浮き彫りになりました。 「町外に避難している皆さんには、帰還を無理強いするようなことは絶対にできません。町内のほとんどは除染活動などによって放射線量も低く抑えられており、引き続き住民の皆さんが安心できるような取り組みを進めて行くと同時に、町からの情報発信を積極的に行って行きたいと思っています」 広野町は南のいわき市、北の楢葉町や富岡町といった「ブランド被災地」に挟まれているため、メディアで取り上げられる機会が少なくなると遠藤町長は危惧しています。 「そのためメディアの取材を積極的に受け、少しでも広野町の情報が町外に発信されるようにしています」