夏の甲子園明後日開幕! 済美に継承されている名将・上甲イズム
かつて、現早稲田大学野球部監督で、1980年から鳴門工業高校(現鳴門渦高校)を率い、公私に渡って交流のあった高橋広が、こう上甲野球を形容した。 「とにかく、攻撃的。打ち勝つ野球は、上甲さんが早くから目指す野球だった」 上甲監督は、宇和島東で監督になった当初、何度も愛媛県の古豪・松山商業に跳ね返された。監督となって2年目の夏、愛媛大会(1984)で決勝まで進んだが、松商に2対18で破れた。翌年の夏の大会では、松商と1回戦で対戦すると1対9と歯が立たなかった。さらに翌年、夏の愛媛大会決勝で松商と顔を合わせると0対6で完封されている。 そんな経験から、投手力と守りでそつのない野球をする名将・窪田欣也監督率いる松商を超えるには、打ち勝つしかないと方向性を定めていく。同じような野球を目指しても勝てないと、練習時間の大半を打撃練習に費やした。 並行して力を入れたのが、ウエイトトレーニングである。今では、多くの強豪校が当たり前のように使うエルゴメーターを真っ先に採り入れたのも上甲監督。そうしたトレーニングを理論的に支えた吉見さんは、こう振り返った。 「上甲さんがウエイトトレーニングを始めた頃、野球には必要ないという偏見があった。しかし、今となってはどこも取り入れている。監督には、将来を見る目が合ったということでしょうね」 その打棒には過去、ダルビッシュ有でさえ、手に負えなかったことがある。 2004年春、済美は創部3年目にして、春の選抜大会で初出場、初優勝を成し遂げたが、このときは、鵜久森淳志(ヤクルト)らを擁し、豪快に打ち勝った。前年11月には、明治神宮大会でダルビッシュと対戦すると、7対0でノックアウトした。 昨年、ダルビッシュはその試合のことを、「(済美打線の)スイングがすごかった」と述懐し、完敗を認めている。 「それまで僕は1年生から投げて来たけど、ああいうチームはいなかった。1年生のときに日大三高とか帝京高とか、そういうチームにも投げてきましたけど、あそこまで完璧に打たれるって、ないですよ。高橋(元阪神)と1番の甘井っていうのがすごいという印象。いきなり甘井にヒットか二塁打を打たれてるんです。そこから完全にバンバンいかれた」 済美のグラウンドの左翼奥には工場があり、当時、鵜久森、高橋勇丞(元阪神)らは、その屋根へ打ち込むほどだったという。その後、右のパワーヒッターは消え、安楽がいて、甲子園に出場していた頃でさえ工場まで飛ばす選手はいなかったが、吉見さんは、「今年の子たちは違う」と唸る。 「彼らは、デッドリフトで180~200キロを上げられる。もう、プロ並み。工場の前に駐めてある車に当てないよう、打撃練習のときは、見張りを立たせている」 この点について、「対外試合が禁止されているとき、じっくりウエイトトレーニングが出来たからかもしれない」と吉見さんは指摘し、続けている。「下半身が強くなった」。 今年の済美は、どこか2004年のチームを彷彿とさせる。 「ガンと打って、ガンと投げて、ガンと走れ」。 これは、済美が2004年の選抜でベスト4に勝ち残ったとき、上甲監督が決めたキャッチフレーズだが、今年のチームからは、そんな威勢のいい上甲野球の息づかいが聞こえてくるようでもある。 済美は、明日7日の開幕日の第2試合で、過去4度の甲子園出場時のエースの名前が「石田」で話題となっている福岡の東筑と対戦する。 (文責・丹羽政善/米国在住スポーツライター)