夏の甲子園明後日開幕! 済美に継承されている名将・上甲イズム
その瞬間、捕手がマウンドへ駆け寄って投手と抱き合うわけでもなく、他の野手がマウンドに集まって歓喜の雄叫びを上げるわけでもなく、済美の選手らは、何事もなかったかのように、淡々と整列した。 7月28日、愛媛県大会決勝。済美は一回に先制されたがすぐに追いつき、帝京第五を10対3で下し、4年ぶり5回目の甲子園出場を決めた。 済美は知られるように、2年生エース・安楽智大投手を擁して春夏の甲子園出場を果たした翌年の2014年秋から1年間の対外試合禁止処分を高校野球連盟から受けた。エースの八塚凌二ら今の3年生は、その処分中に入学しており、対外試合が解禁されて迎えた秋の四国大会ではベスト4まで進んだものの、可能性が高いとみられた16年春の選抜大会への出場は、処分が影響したのか、叶わなかった。 昨年夏の大会は、第2シードだったが、2回戦で姿を消している。 そんな逆境や、屈辱を乗り越えての頂点。選手一人一人に、それなりの思いもあったはずだが、誰ひとりとして、はしゃぐ選手はいなかった。 「あれは、中矢(太)監督の指導によるものでしょう」 そう教えてくれたのは、松山市内などで「ランクアップ」というジムを経営し、今もオフになると、済美出身の安樂智大らを指導する吉見一弘さんだ。 3年前の9月2日に他界した春夏17度の甲子園出場、2度の全国制覇を果たした名将、上甲正典監督とのつながりが深く、上甲監督が宇和島東を率いていた(1982~2001)頃から選手のトレーニングを担当し、済美に移ってからも選手のコンディショニングを任されていた彼の目には、そう映った。 「相手に敬意を欠くような行為は、固く戒めていましたから」 その中矢監督は、上甲さんが監督だった時にコーチ、野球部長を努めた。昨年7月から監督となったが、吉見さんは、新監督についてこんな話をした。 「礼儀とかグラウンド整備とかも、中矢監督は厳しい。そこは上甲監督の影響もあるのかな」 確かにその点で、上甲監督は厳しかった。むしろ、そこが原点と言っていい。 済美高校野球部1期生で、現在、同野球部で部長を務める田坂遼馬さんは以前、上甲監督から挨拶、言葉遣いを厳しく教え込まれ、こう言われたことを覚えていた。 「挨拶で人生が変わる」 高校卒業後、社会に出たら、どう振る舞うべきか。上甲監督はその先の人生を見据えていた。 こんなエピソードもある。まだ上甲監督が、宇和島東の監督になる前の話だ。上甲監督が生まれ育った三間町(現在は宇和島市の一部)の小学校で校長を務めていた豊田進さんが、懐かしげに教えてくれた。 「あるとき、三間町の中学校の校長が、中学の野球部の指導を上甲に頼んだ。すると、生徒のマナーが一変したんです。大きな声で挨拶も出来るようになった」 こんな指導が印象に残っているという。 「生徒に、『道具を大切にしなさい』と言い聞かせてるんです。『そうしなければ、強くなれない』と。あれで、生徒は変わりました」 道具を大切にする精神は、もちろん、今の済美にも受け継がれている。「いや、今の中矢監督の方が、厳しいかもしれない」と吉見さん。 「ウエイトトレーニングのあと、選手らは使った器具を拭くんですが、例えば、練習の時間が少ない時、トレーニングの時間は削っても、拭く時間は削りません」 なお今年のチームは、豊富なウエイトトレーニング量にも支えられ、愛媛大会では、5試合で38点を叩き出し、チーム打率4割をマーク。打力で相手を圧倒した。 実は、そこにも、上甲野球の継承が見て取れる。