スズキの鈴木修元会長が死去 94歳 「アルト」「ワゴンR」…軽自動車の普及に尽力
スズキは27日、同社を世界的な自動車メーカーに育て上げ、国内では軽自動車の普及に尽力した元会長で相談役の鈴木修(すずき・おさむ)氏が25日、死去したと発表した。94歳だった。 昭和33年、当時の鈴木自動車工業2代目の俊三社長の娘婿となり、同社に入社。常務、専務などを経て53年に4代目社長に就任した。 54年に発売された「アルト」や、背高タイプの「ワゴンR」(平成5年)など優れた軽自動車を次々と生み出し、国内の軽市場を大きく拡大した。 海外進出にも積極的で、スズキが世界的なメーカーに飛躍する足場を築いた。昭和56年に米ゼネラル・モーターズ(GM)と業務提携。翌57年には日本メーカーとして初めてインドに進出、成長市場のインドでトップメーカーとしての地位を確立し、新興国戦略で他社をリードした。 平成12年に会長に就任したが、20年に当時の社長が健康不安を理由に退任したため、社長に復帰して会長兼社長に。27年には長男の俊宏氏が社長兼COO(最高執行責任者)に昇格し、会長兼最高経営責任者(CEO)に就いた。 翌28年、燃費不正問題の責任を取って俊宏社長にCEO職を譲った後も事実上のトップとして経営に携わり続け、令和3年に相談役に退いた。