「一村一品運動」進める知事が始めた人材育成の塾、「有名人の話が聞ける」と参加したら人生の転機に
豊の国宇佐市塾塾頭 平田崇英さん
太平洋戦争中に米軍機が撮影した全国の空襲映像を次々と発掘し、注目される大分県宇佐市の市民団体「豊の国宇佐市塾」。塾頭の平田崇英さん(75)は、かつて特攻隊が配置され、多くの人が戦死した同市から、平和への思いを伝え続ける。 【写真】宇佐海軍航空隊の掩体壕前で思いを語る平田さん(6月14日、大分県宇佐市で)=田中勝美撮影
保育園で園長をしていた1983年、地域おこしのプロジェクト「一村一品運動」を進めていた大分県の平松守彦知事(2016年に死去)が、新たに地域振興に貢献できる人材を育成しようと、「豊の国づくり塾」を始めた。
県内12地区で毎月1回、多方面で活躍する県内外のプロを講師に招いて、地域づくりを指導する事業で、85年、宇佐地区での開講に合わせて手を挙げた。「有名人の話が聞けるから」と軽い気持ちだったが、ここでの経験が大きな転機となった。
ウシオ電機創業者の牛尾治朗さん(2023年に死去)、西武鉄道元会長の堤義明さんらの昼間の講義もさることながら、講義の後、講師や他の塾生、平松知事らと酒を酌み交わす「夜なべ談義」が糧となった。特に影響を受けたのが、同県由布市の高級旅館「由布院 玉の湯」会長、溝口薫平さん(90)と、「亀の井別荘」相談役の中谷健太郎さん(90)だ。知名度のなかった由布院温泉を全国ブランドに押し上げた2人は、「豊の国づくり塾」の運営委員長を務めていた。
夜中の12時になっても、1時になっても終わらない。溝口さんは熱弁をふるった。「地域づくりは、テクニックでできるものではない。燃えている人に接し、その火種をもらって、自分もまた他人に燃え移らせるくらいの熱がなければできない」。中谷さんは教えてくれた。「地域づくりを成功させるためには活動を記録して、記録を積み上げていくことが大事だ」
溝口さんは、当時の平田さんをこう見ていた。「塾には枠に縛られないタイプの人たちがたくさん集っていたが、平田さんはそうした人たちをまとめる力があるように感じた」
宇佐地区の「豊の国づくり塾」は2年で終了したが、熱は冷めない。