紙屑株が100倍に…伝説の投資家に「この会社は伸びる」と確信させたニトリ創業者のひと言
センチメントが一番悪い時(北海道経済がお先真っ暗な時)に買ったので、株価は1年後には3倍になり、2003年には6倍になりました(運用資産も急速に増えたのでファンドの規約である25%ルールに引っかかることなく持ち続けられました)。 確か、2004年に10倍になってから全株売却したのだと思います。今まで持ち続けていたら100倍以上になっていましたが、2003年の時点でもう東証一部でしたし、すでに複数のアナリストがフォローする立派な機関投資家銘柄になっていましたから。 我々の役割は機関投資家が見向きもしない隠れた割安小型成長株を見つけ出し、大量に投資することです(少なくともファンドの出だしはそうでした)。ニトリについては、我々の役目は2003年にはもう終わっていたのです。私は部下にニトリ株の売却の指示を出しましたが、その時こう言いました。 「パーティーが始まったら我々は帰ろう」 ● 投資家の期待なんかで ウチの株は上がってほしくない 似鳥昭雄社長とは、東京で一度だけ一対一でお会いしたことがあります。夕ご飯をオファーしたら「証券会社や投資家の接待は受けない」の一点張りで、「こちらから面談をお願いしているわけだから夕飯代ぐらい出させてくれ」と何回もお願いし、ようやく「1000円以内なら」という条件で承諾をいただきました。しょうがないからお泊りのホテルでスパゲティ食べましたかねえ。酒も飲まずに。
似鳥社長の言葉で印象に残っているのがこの言葉です。 「これだ、っていう優秀なやつ見つけたら、どこまでも追いかけて絶対にうちで働いてもらう。それが社長の仕事だ」 私はこの会社は伸び続けると確信しました。でも、似鳥社長は投資家に会うのが大嫌い。決算説明会も開いたことがない有様です。 なぜ嫌いかと言えば、「業績が伸びてから株価がついてくればいいわけで期待とかで株価が上がってほしくない。期待で先に株価が上がると株価にあおられている感じになって気分が悪い」のだそうです。 でも、大株主の私としてはそれで納得するわけにはいきません。私は懇意にしているアナリストと相談して何とか決算説明会を開かせようと粘り強く説得しました。 何とか開いてもらったのはいいのですが、正直な方なのでひやひやもんでしたねえ。「うちの会社は顧客のクレームが多く、クレームをいちいちここで紹介してたら切りがない。だから、めったにないお客様のお褒めの言葉だけをここで披露させていただきます」とか言うのですよ。 そして最後には、「今度はいつ説明会を開いてもらえるんですか?」という投資家の質問に「これが最後です」と。これには面食らいましたねえ。
清原達郎