紙屑株が100倍に…伝説の投資家に「この会社は伸びる」と確信させたニトリ創業者のひと言
● 紙屑のような値で取引されていた 北海道がどん底時代の「ニトリ」株 1998年7月にファンドの運用が始まる直前、私は仙台に外交に行き、そのまま夜行電車で札幌に向かいました。行き先は家具屋の「ニトリ」です。 前年の1997年11月、北海道拓殖銀行が経営破綻。そのため、安定株主として北海道拓殖銀行が持っていた80万株のニトリ株はいずれ処分されることになります。 北海道経済はどん底に落ち込み、この銀行がメインバンクだったニトリ株も紙屑のような値段で取引されていました(というより出来高はほとんどゼロでした)。札幌単独上場なので機関投資家で買うところはありません。売却は困難を極めることが予想されました。 私は朝、札幌についてニトリに向かいIR担当者にインタビューしました。確かに北海道経済はドン底でニトリの既存店売上高もマイナスでしたが、関東に出店した3店舗はとても好調だったのです。 家具業界はとても分散した市場です。小さな家具屋ばかりでシェアの高い会社はありません。当時、機関投資家に人気のあった大塚家具ですら市場シェアは5%もなかったぐらいでしたから。
また、家具屋で製造小売りをやっているのはニトリだけで、ほかの家具屋は卸から家具を買って店頭に並べているだけです。ニトリはインドネシアに自社工場を持っていましたし、中国ではメーカーの中に入り込んで家具製造の指導もしていました。 私はニトリには競争力があり、市場の構造からしてシェア拡大のチャンスが大きいと思ったのです。 ● ホールドしていれば100倍になる株を 10倍の時に売却するのがわれわれの流儀 すぐに北海道拓殖銀行が持っている株を買おうと思いました。すると、大半の売り先はもう決まっているが、残り20万株なら出せると。私はチャンスだと思って言いました。 「その20万株、全部ください」 K1ファンド(編集部注/著者が設立した、タワー投資顧問の旗艦ファンド。日本株のロング・ショート運用を行う)は6億円からスタートしました。K1ファンドでは、一銘柄でNAV(編集部注/Net Asset Value:投資信託の純資産総額のこと)の25%を超えてはいけない(短期的に超えるのはかまわないのですが)というファンドの規約があります。ニトリは株価750円ぐらいだったので20万株で1.5億円、ちょうど25%になります。偶然にしてはちょっと出来過ぎですよねえ。不思議な縁です。