“ストライク入らない病”に「泣く寸前」 緊急救援で先輩に黒星…謝罪できぬほど「怖かった」
星野伸之氏は4年目に11勝…6完封も12敗で防御率3.87、激しかった好不調
野球評論家の星野伸之氏(元阪急・オリックス、阪神)は、4年目の1987年に初の2桁勝利となる11勝をマークした。6完封を含む13完投。背番号が「53」から「28」に変わったシーズンで、大きく飛躍した。しかし、すべて順調にことが運んでの結果ではなかった。「今でも忘れない。あれはホントにやばかった……」。5月下旬から6月上旬にかけて「ストライク入らない病、打たれたくない病みたいになっていた」という。 【動画】「永遠にネタにされる」星野氏が投じたスローカーブを捕手は素手で捕球に… 星野氏は苦笑しながら、こう話した。「4年目は6完封したんですけど、防御率は3.87。みんなに言われました。『お前、6完封して(防御率が)4点台に近いってよっぽどやで。普通、うまくいったら1点台だってあるぞ』ってね。確かに、って思いました。僕の場合はハマるか、ハマらないか。ひどい時はとことんやられましたからね」。4月14日の西武戦(西宮)でプロ初完封勝利をマークし、最高のスタートだったが、最終的には29登板で11勝12敗。2桁勝って2桁負けた。 そんなシーズンで「今でも忘れない」というのは5月30日の近鉄戦(秋田)、6月4日の西武戦(平和台)、6月6日のロッテ戦(金沢)だ。「秋田と平和台で(先発して)2試合連続1/3でKOされたんですよねぇ……」。秋田の近鉄戦では打者6人に4安打1四球の5失点。「アウトは(近鉄2番の)新井(宏昌)さんの送りバントだけでしたね」。 中4日で先発した平和台の西武戦では、打者6人に2安打3四球1三振の5失点。「(西武1番打者の)石毛(宏典)さんを三振。なめた考えで2試合連続1/3なんかないだろうと思ったら……。ホントに泣く寸前でした」。この時に「何か全然“ストライク入らない病”みたいになった」という。その次が中1日でのロッテ戦。これがまた最悪だった。その試合の先発は大エースの山田久志投手で、阪急が1点リードして終盤戦を迎えていた。 「あの時、僕はストライクが入らなくなっていて、ブルペンで投げ込むように言われたんです。150球くらい投げて、何となくストライクが入るようになったら、急に山田さんの後に行けーってなったんですよ」。まさかのリリーフ指令だった。「たぶんブルペンと監督が通じ合ってなかったんじゃないですかねぇ。おそらくブルペンのコーチは僕の登板はないだろうと思って投げ込ませていたと思いますよ」。