実は難民だった!偉大な業績を残す著名人たち【6月20日は世界難民の日】
フレディ・マーキュリー 「実は難民だった、唯一無二のボーカル」
2018年の映画『ボヘミアン・ラプソディ』で、再び世界の注目を集めた、イギリスのロックバンドQueen(クイーン)。そのボーカルのフレディも、実は難民だった。 1946年に彼が生まれたのは、東アフリカのザンジバル(現在はタンザニアの一部)。イギリスから独立したばかりのザンジバルは、当時から内情が不安定で、1964年には暴動も発生。5,000人~1万人以上の人が命を落としたといわれるこの混乱の最中、フレディの家族は脱出に成功し、イギリスに。 芸術を学びながら、音楽活動に打ち込でいた彼が、Queenを結成したのは、1971年のこと。そして、『Bohemian Rhapsody(ボヘミアン・ラプソディ)』『We Will Rock You(ウィー・ウィル・ロック・ユー)』『We Are The Champion(伝説のチャンピオン)』など時代を越えて愛される名曲を世に送り出すことに。2002年のBBCの調査で、イギリス史上最も偉大な人物100人に選出。残念ながら、1991年に45歳で亡くなってしまったフレディ。しかし、現在もバンドは、パワフルなハイトーンボイスの持ち主をボーカルに迎え、「クイーン + アダム・ランバート」という形で活動し、名曲を歌い継いでいる。
ボブ・マーリー 「音楽のチカラで平和をもたらした、レゲエの神様」
1945年にジャマイカで生まれたボブ・マーリーが難民となったのは、晩年の時期。 彼は、1976年に国内二大政党の一つの政治キャンペーンに参加。その過程で、政党間の対立抗争に巻き込まれ、狙撃によって重傷を負うまでの危険にさらされてしまう。ジャマイカからイギリスに亡命するも、1978年に再びジャマイカに戻り、『One Love Peace Concert(ワン・ラヴ・ピース・コンサート)』を開催。このとき、コンサートを見に来ていた対立関係の二大政党党首をステージ上に招き、和解の握手をさせた。 ローリング・ストーン誌の選ぶ「歴史上最も偉大な100人のシンガー」に第19位でランクイン。1979年には、初来日コンサートを開催したボブだが、残念ながら、1981年に36歳の若さで、がんのために亡くなってしまう。彼の国葬は、母国ジャマイカのキングストン市で行われた。彼の音楽・思想は、音楽関係者のみならず、数多くの人々に多大な影響を与えている。彼の生涯を描いた映画『ボブ・マーリー:ONE LOVE』が現在、上映中(※2024年6月19日時点)。