最高裁判所長官は「重要文化財」内に住んでいる!? 「もとは実業家の別邸」東京・神楽坂 “公邸”の知られざる歴史とは
政府は7月9日、最高裁判所(最高裁)の第21代長官に今崎幸彦氏を指名することを決定した。 塀の一部には土嚢で補修されている箇所も 憲法6条では最高裁長官について「天皇は、内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する」としており、近日中に皇居で親任式が行われる予定だ。 ところで、最高裁長官に「公邸」があることは、意外と知られていないのではないだろうか。
最高裁長官の役割と待遇
裁判所法12条では、最高裁長官が裁判官会議を総括することが定められており、また慣例では、最高裁判事の任命について、内閣は最高裁長官に意見を求めることになっている。 こうした役割を果たす最高裁長官だが、「裁判官の報酬等に関する法律」では、月の報酬について、201万6000円と定められており、さらに国家公務員宿舎法の10条には、公邸の設置と無償貸与が規定されているのだ。 公邸は長官の住居として使われるだけでなく、迎賓・執務応接の場所としての機能があるほか、最高裁の庁舎が災害などの被害を受けた際に、緊急時の拠点としての役割を持つ。
木々と監視カメラの隙間から見える“歴史感じる屋根”
公邸は東京・神楽坂にあり、外堀通りから急峻(きゅうしゅん)な坂「逢坂」を上ると、立派な塀が見えてくる。角を曲がりしばらく歩くと門にたどり着く。 門の前では警察官が警備をしており、また塀の上の景色をよく見ていくと、木々にまぎれて監視カメラのようなものが設置されている。 塀と門により、公邸の全貌は見えないが、木々や監視カメラの隙間から、歴史を感じる建物の屋根を見ることができる。
もとは富山の実業家の「別邸」
報道などによると最高裁長官公邸は、東日本大震災の影響で2011年以降、使用停止になっていたという。 確かに、公邸周りの塀には、「地震により倒れる危険性がありますので、揺れを感じたらこの塀から離れてください」との看板が掲げられていた。 公邸のその後の利用については、インターネット上にいくつかの記事があるのみ。裁判所の公式サイトでも、公邸について詳しい情報を得ることはできなかった。 最高裁の担当者は以下のように話す。 「公邸の使用停止後、主要部分を改修したうえで、残りの部分を解体・増築するなど、工事が行われました。 その後、2021年5月に現在の公邸が完成したのですが、当時“新公邸”の完成を外部などに公表したかについては資料が残っておりません」 公邸は「旧馬場家牛込邸」と呼ばれ、富山県で海運業を営んでいた馬場家の東京における拠点として、1928年に建てられた。設計したのは、旧東京中央郵便局や旧大阪中央郵便局など日本近代建築の名作を設計し「逓信省の建築家」と呼ばれた建築家・吉田鉄郎氏だ。 そして最高裁が設立された1947年以降、「旧馬場家牛込邸」は最高裁長官公邸として使われるようになったのだが、その経緯については不明だという。 「使用停止前の公邸には、最高裁判所初代長官である三淵忠彦氏から、使用停止された2011年当時の長官であった竹崎博允氏までが住んでいました。 その後、総工費4億5000万円をかけ改修や増築が行われ、2021年5月に完成。当時の長官である大谷直人氏が最初の住人となりました」(同前)