元大関・旭国の家族葬にそうそうたる顔ぶれの弔問客 朝青龍、白鵬…「モンゴル人力士が何十年もいるのは親方のおかげ」大島親方が功績語る
大相撲の元大関旭国で元大島親方の太田武雄さんが77歳で亡くなってから一夜明けた23日、東京都墨田区の自宅で家族葬が営まれ、弔問客のそうそうたる顔ぶれが功績の偉大さを示した。 【写真】食い付いたら離れないしぶとさから「ピラニア」の異名を取った元大島親方 この日は弟子の伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)、宮城野親方(元横綱白鵬)、音羽山親方(元横綱鶴竜)らが弔問。 1992年にスカウトされ、初のモンゴル出身力士となった現大島親方(元関脇旭天鵬)は「部屋を脱走してモンゴルに帰ったときにも『おまえは絶対に強くなる』と熱く誘ってくれた」と振り返り、「僕だったら同じことはできない。朝青龍、白鵬ら横綱が生まれ、僕も優勝できた。モンゴル人力士が何十年もいるのは親方のおかげ。相撲人気に貢献したと思うし、すごい功績」と恩師をしのんだ。 旭道山「やる気があれば何でもできると示してくれた」 元小結旭道山も「モンゴルは社会主義が崩壊したばかり。一般教育、思想教育、日本語教育…。大変だったと思います」と先駆者の取り組みに改めて敬意。自身も多くの教えを受け、「中卒でも小兵でも、やる気があれば何でもできると示してくれたのは親方だった。怒られた思い出しかないし、稽古の厳しさはトップクラスだったが、強ければ関取になれるわけではない」と感謝する。1996年10月に現役力士のまま突如、衆院選に出馬した際も、師匠は「個人としては応援すると言ってくれて、当選したときは一番喜んでくれた」という。 晩年は糖尿病から歩行困難となり、膵臓や腎臓も患っていたといい、次男で元幕下旭照天の太田国宏さんは「この半年は苦しかったと思う」と明かす。最後の公の場は2021年9月の元横綱白鵬引退相撲。「そのときも歩くのがやっとだったが、前日に白鵬さんが家まで来て、『大相撲への道をつくってくれた。ぜひ来てください』と頼まれて。『行ってよかった』と喜んで帰ってきた」と父の偉大な足跡に思いをはせた。 (塚沢健太郎)