原爆投下当日も途絶えなかった「気象観測記録」 気温や気圧、風など当時の気象台が計測した “生のデータ” が現存 原爆が炸裂した瞬間の異変も捉える
その中で30年以上にわたって原爆に関する気象の資料を調べている学芸員の脇阪さんが確認できていなかったのが、1945年8月6日の観測記録そのものでした。 江波山気象館 脇阪伯史 学芸員 「原本がどこかにあるんだろうなという思いはあったが、これまで私自身も原本を見たことがなくて…」 ■長年探し求めていた「原本」と対面 原爆投下当日の観測記録を見ると… その8月6日の原本は、広島地方気象台に残されていました。8月6日を含む1945年の気象観測記録は、他の資料とは別に金庫の棚の奥にまとまった形で保管されていました。これまで外部には公開されていなかったといいます。 江波山気象館 脇阪伯史 学芸員 (気温の観測記録を見ながら) 「ここからが6日の資料。(原爆投下時刻の)午前8時15分くらいにちょっと針が上に振れているような…。そのあと気温がしばらく上がらない状況も見えますけど、それが原爆の爆発による雲で日照がさえぎられた影響なのか…推測の域はでませんが、 そんなこともあったか」 また、風速のデータも、原爆がさく裂した時間の異変を示していました。 江波山気象館 脇阪伯史 学芸員 「午前8時10分すぎにタテに2回ドットが打たれている。かなり垂直に立っているので、ごく短い時間に2回打たれたのは、ごく短い時間に瞬間的に強い風が吹いたことの記録かもしれない」 また、気圧の記録も原爆によって瞬間的な変化が生じた可能性があるといいます。 ■途絶えることはなかった気象観測 「当時の使命感に頭が下がる思い」 江波山気象館 脇阪伯史 学芸員 「実際、こうやって原爆が落ちた当時に動いていた機械についていた記録そのもの、生の記録を見たのは初めて。非常に写しとは違って、当時の様子が伝わってくる。」 気象台では、建物が破壊され、大半の職員がけがをしながらも、観測が絶え間なく続いていたのです。 広島地方気象台 徳廣貴之 台長 「我々先輩が原爆投下という非常に困難な状況で記録を途絶えさせてはいけないという使命感で、こういう形で残されている。ただただ頭が下がる思い。」 「根本的に観測は、刻々と変わる自然現象をいかに的確に捉えて残して伝えていくということは今も昔も変わらない。そういう思いが伝わってくる。」 「あらためて身が引き締まる思いがする」
江波山気象館 脇阪伯史 学芸員 「これからこれをどういった形で、残していくのか、伝えていくのかを考えていかないいけないなと」 8月6日の気象観測記録…。あの日、広島で何があったのかを解き明かす重要な資料となる可能性があります。
中国放送