たった3軒の集落で見つけた「シェアハウス」的生活 ハレとケを支える存在
140人が集う土間
空き家がつなぐのは、日々の生活だけではない。8月のお祭りでは、多くの親戚や出身者が一度に集まる。当日は、新道の山側にある津島神社で式をした後、空き家の土間に集まって大宴会が始まるのだ。 名もない地元のお祭りは、100人以上が集う、集落の一大イベントだ。「私の子どもら、東京へ行った衆も浜松へ行った衆も皆っきり戻って来るだよ。正月とお祭りには帰って来る」。和田さんのお子さんとその配偶者、孫たちだけでも、15人以上になる。今回、新道まで案内してくれた区役所職員で和田さんの甥にあたる正さんも、新道を離れて久しいが、毎年参加している。内容を聞いても特に変わったことはないというが、手を動かすのは若者たちで、やり方を伝えるのは昔からここを知る和田さんたちの仕事だ。
空き家の土間に、テーブルを二列並べ、もらってきたパイプ椅子を使う。全員の3日間分の食事を用意するから、大変だ。献立は先にこしらえておき、来た者皆で作る。酒を冷やす冷蔵庫には事欠かない。くじ引きやカラオケ大会も行われ、昨年は和田さんも孫と一緒に歌った。 新道の住人は、一人暮らしの和田さんと、息子さん夫婦と3人暮らしの松下さんを含めてわずか3軒、7人。峰之沢鉱山や秋葉ダムの開発、林業で栄えた当時、新道には50軒ほどの家があり、立ち飲み屋や演芸場もあったというが、その面影は少しもない。 「去年孫二人に何人いるか数えてみなって言って、二人して数えたらね、140人。3軒きりのとこにあんだけ来てびっくりするよ」「お祭りのときに来ないと面白くないね、ここは」。皆の自慢のお祭りにも、もはや空き家は欠かせない。むしろ、空き家があるから、集まれる。 「また来てね。お祭りのときに」。見送りの言葉には、誇らしさと人懐こさが混じる。集落のハレの姿が見たくなった。
(この記事はジャーナリストキャンプ2015浜松の作品です。執筆:齊藤真菜、デスク:田中輝美) ■齊藤真菜(さいとう・まな)1987年生まれ。ネットメディア・ヨコハマ経済新聞の副編集長として媒体運営に携わる傍ら、フリーライターとして活動。