【SSPW】“過激な仕掛け人”新間寿会長が魂の大演説
新間「我々のやっていた新日本プロレスというのは、本当に面白い!力強い団体でありました」
加えて、平井代表は大会翌日となる3月22日は新間会長のお誕生日であることから、「新間会長の誕生日に華を添えるような盛り上がる大会にしていきたいと思います」と深々と頭を下げる。新間会長は「よく言うよ(笑)」と破顔し、そのまま挨拶を行った。 新間寿会長「なんか、私がやっていた時代のことを書いた本がここのところ何冊か出たのを見させていただきました。いやあ、我々のやっていた新日本プロレスというのは、本当に面白い!力強い団体でありました。そのときに出てきたのがタイガーマスク。それから、猪木vsストロング小林戦。こういうものが、なんで平井が作れないのか。こないだ、全日本プロレスの会場に私も行きました。アリ・ボンバイエの曲とともに入場して、試合も見させてもらいました。さっきも、佐山サトルと話しました。『なんか面白い試合無いのか?』。今日はもう記者会見なんて出ないよ。出て話すことなんかない。平井にそう言いました。 『いやなんとか』ってことでここに引きずり出されて、そして今日タイガーと一緒になって記者会見。『佐山ちゃん、今日私は思ったことを喋るよ?』って。そしたら『新間さん、好きなことを喋ってください』って。つい1月くらい前から私は体調不調で、自宅でもって、私の趣味は本を読むことであります。山本周五郎、藤沢周平、吉川英治、また色んな本を読み直しました。10代で読んだときの本、20代、30代、40代、50代、60代、70代、80代。読むたんびに自分の気持ちが変わってきておりました。プロレスもそうです。私の時代で一番面白かった、胸躍る試合は、タイガーマスクの試合でした。 それと、アントニオ猪木vsストロング小林戦!ストロング小林は、私が3ヶ月毎日のように青山から青梅に行って、小林家に日参をして口説き落としました。そういう努力をしている人間がいるのか?私は自分ではその当時は努力とは思いませんでした。面白い試合を新日本プロレスの6m40のリングの中で、ファンに見せて、ファンが喜ぶ姿を見て喜ぶ。これが新日本プロレスの営業の基本的姿勢であるという気持ちでやってまいりました。タイガーマスクを世に出し、藤波をマジソン・スクエア・ガーデンにおいてチャンピオンにし、そして多くの人々を世界の舞台に私は、中東、ムスリムの世界にも行き、ヨーロッパ、そしてブラジル、アメリカ、カナダ、色んなところに行きました。 周りにいるファンを見ても、プロモーターを見ても、『なんか会場の雰囲気に合う選手はいないのか』ということで、プロモーター同士が話し合う。そういう姿を私は見てまいりました。しかし、今は努力が足りない!私は平井によく言います。『努力をしろ!』『面白い試合を組めないのか!』。選手がどうのこうのより、選手が漢字で話す、そういうところの国民であったなら、アルファベットで話す、そういう国で生まれた選手だったら、そういう異種格闘技戦みたいな、そういうもんでも組むという、そういうものをなんで組めないのか!今日私は記者会見に出るつもりはありませんでした。 もう私は引退だ。もう辞めよう。3月19日、私の本当に努力が実ったアントニオ猪木とストロング小林戦っていうのがありました。あれは、私が3ヶ月、毎日のようにストロング小林家に日参をして、小林さんの家族の同意を得て、猪木vs小林戦が挙行されたわけです。あの試合こそ、私は自分が手掛けた中で一番世の中に自分自身を褒め、そしてストロング小林さんを褒め、その力を引き出したアントニオ猪木という人に感謝を以て私は人々に語り合いたい。そして世界一のボクシングのチャンピオンであるモハメド・アリとアントニオ猪木の試合。誰がこういうような試合を考えることが出来るのか! 私は6m40のリングの中は神の領域だと思ってる。レスラーという神様が真剣に戦う場所であって、私たちレスラーでない人間が立ち入る場所ではない。そういう思いで私は一生懸命やって来ました。もう1度皆さん、このプロレスという、アントニオ猪木が育て、坂口征二がいて、タイガーマスクがいて、藤波辰爾がいた、もう1度昔の新日本プロレス、そのリング上で闘った、その人達の気持ちを引き継いで、もう1度、『そうだ!私たちが6m40のリングの中で死にものぐるいになってやってみよう!』と、そういう気持ちをレスラーが持つような、そういうような形のものを作り上げていくことが出来ないんだろうか!私はそう思った途端に、『ああ、明日は私が記者会見にもう行ったところで、話をしたってマスコミの人たちに私の言う言葉が伝わるかどうか』。 それは何十年も前に行われたアントニオ猪木vsストロング小林戦を見てもらえれば、私は分かると思う!アントニオ猪木とストロング小林戦を挙行するために、私はどれほど努力をしたかということは言いません。しかし、小林家に行って、8匹のマルチーズを相手に、小林家にいて、私が毎日2時間から3時間いた間に、小林さんの家族と、本当に、本当に語り合うことが出来るようになった。そういう雰囲気を作って、ストロング小林vsアントニオ猪木戦が組まれることが出来ました。 佐山サトルがロンドンにいたときに、サミー・リーといって、プロモーターが絶対彼を離さない。日本に帰さないということがあったときに、私は福田先生(故・福田赳夫さん)のところに乗り込んでお願いに行きました。『先生、ロンドンに居る佐山サトルという人間が新日本プロレスで必要なんですけど、向こうのプロモーターが離してくれないんだ』と。すると、すぐに眼の前から外務省に電話を入れて、『イギリスにいる日本大使館に話をしろ。佐山サトルという新日本プロレスの猪木さんとこのレスラーがいるから。彼を早く日本に帰すように手続きをしてやってくれ』と。そういうことが出来ました。 今考えると、ロシアの方の柔道の人たちと、新日本プロレスが格闘技をやるということで、ビクトル古賀という人が通訳をしながら色々やっていましたけど、向こうのロシアのプロモーター曰くは、『自分を総理、または総理経験者か、警察でナンバーワンかナンバーツーの人と会わせてくれ』という話があって、誰も出来なかった。私は福田先生のところに頼みに行って、福田先生と関東管区の警察局長という人にお願いして一緒に食事をしてもらいました。ロシアとは非常に上手く行って、猪木さんも本当に助かった。そういう努力をするということを今の営業がしてるのかって!マスコミの人たちも私に応援をして色々してくれている。 今年こそ、私はもう、今日も記者会見出ないで、プロレス界から黙って去ろうかと思いましたけども、平井がこれほどやって来てるんだから、もう1度マスコミの皆さんと一緒になって、今年こそ、プロレスとは、書く闘い。見て、こういう風なことで、本当に自分たちは楽しかった。そういう思いをマスコミの人たちが持ってもらって、マスコミの人たちが真剣に書く記事とか、テレビで放映する場所を見て、多くの人たちが『ああ、プロレスってのは本当にいいなあ』と、そういう思いを今一度ファンの人たちに思い出して、『ああ、あの頃のプロレスは良かったな』じゃなくて、今のプロレスが本当に面白いという、そういうような気持ちを一体となって出来るにはどうしたらいいだろうかってことを考えております。長々と喋りました。喋りすぎの新間であります。ご容赦いただきたく思っております。そういうことが私の今の現時点の気持ちです。ありがとうございました」 12分半に渡る大演説を行った。