精神疾患の母、いじめのフルコース…苦難を乗り越えケアマネージャーになった40代男性がいま抱く「絶望感」
国や自治体が18歳以上を含めたヤングケアラー支援に努めるのを明確化した「ヤングケアラー」支援法が成立しました。18歳以上もケアによって結婚、出産、育児、就職、学校生活などに影響を与える人たちに支援と国や自治体の支援に努めることを規定しています。 【マンガ】5200万円を相続した家族が青ざめた…税務署からの突然の“お知らせ” 「令和5年度 ヤングケアラー支援の効果的取組に関する調査研究」 (P39)によれば、実施しているケアの内容は「話を聞く」(感情面のサポート)が68.6%、「見守り」は54.3%、「家事」(食事の準備や掃除、洗濯)が51.4%、「買い物や散歩に一緒に行く」が45.7%になっています。 ヤングケアラーといえば「身体的な介護」のイメージがあるかもしれませんが、精神疾患を抱えた親族の話し相手や家の仕事を任されているのが大半です。筆者が代表を務め大阪市や宝塚市に拠点を構えオンラインやオフラインなどケアラーとひきこもりを支援する団体「よしてよせての会」にも心の悩みを抱えた親族をケアする若者が複数います。 今回は、当会のメンバーであり幼い頃から母親の精神的なサポートを続けてきた「ヤングケアラー」の一人である日下部義人さん(仮名、以下同)をご紹介します。義人さんの過酷なヤングケアラー生活の実態、また、なぜケアマネージャーを志したのか本稿では詳しく記述します。
いじめのフルコースで不登校になったヤングケアラー時代
義人さんは、関西在住の40代男性で現在居宅ケアマネージャー(在宅で介護サービスを利用する人に対してのケアマネジャー)の管理者をしています。家族構成は父親、母親、姉、弟の5人で、義人さんは長男です。 父親は多忙な公務員。朝早く出かけて残業で夜中に帰る日々……。そして公務員の給与は、同程度の学歴と年齢で見たとき、民間企業との収入差がかなり大きく、三人の子供を育てるには十分とは言い難いものでした。 子供の医療費無料など話題にも出てなかった時代のことです。母親もパートで働く必要がありました。そんな環境にもかかわらず、子どもが増えるたびに3回も引っ越し、家計が逼迫したのです。 義人さんは、友達もいない小学校生活でした。親の方針(節約目的)により、髪型はバリカンで丸刈り……。後頭部には大きなケガで出来た10円ハゲがあり、活発な性格のクラスメイトからは格好のいじめの対象になりました。 当時のあだ名は「10円」。暴言、暴力、嫌がらせに遭いました。上履きを隠され、机を離され、髪の毛まで切られたのです。このような、いじめのフルコースを受けて登校拒否となってしまいました。 さらに同時期、精神疾患をわずらっていた母親が、過労や、私のことでの心労、夫婦喧嘩も増えるなどして、症状が悪化……。料理をうまくつくれない、掃除が全くできなくなる、大声で叫び家族に暴力を振るったり、外に向かって皿を投げたりといったことも増え、一緒に住むことができない状況でした。今考えれば父親の仕事にも多大な影響があったと思います。 義人さんは、登校拒否を継続中でした。父親にはバレたくない。また家にいれば父と母とのバトルが始まるので、ランドセルを背負って一応「行ってきます」と出かけるものの、ふらふらしているのを大人に見つかると通報されるので、仕方なくいつもの原っぱへ向かう日々でした。