日本の若者が大損するのは「高齢者」のせいなのか…意外と知らない「対立の根本原因」
わたしたちはいつまで金銭や時間など限りある「価値」を奪い合うのか。ベストセラー『世界は経営でできている』では、気鋭の経営学者が人生にころがる「経営の失敗」をユーモラスに語ります。 【写真】人生で「成功する人」と「失敗する人」の大きな違い ※本記事は岩尾俊兵『世界は経営でできている』から抜粋・編集したものです。
人本論:人間の本質は価値創造にある
ここで、一例として日本社会の大きな問題として頻繁に取り上げられる超高齢社会について、価値創造を目指して再考してみよう。価値有限の発想に捉われると、現役引退後に高額な医療を消費する高齢者の存在は、若年者から金銭を奪っているだけだということになる。これが高齢者と若年者の極端な対立につながるわけだ。 私は綺麗ごとを言わない。現状はその通りだろう。 だが、価値創造によってそうでない状況を実現できる可能性があるのも確かだ。そのことを考えてみることすらしない社会状況こそが閉塞感を生む。超高齢社会においては、「幸いにも」高度な医療を大量消費する高齢者が無数に存在する。だとすれば、もしかしたら彼らの大量の医療データを宝の山に変えられるかもしれない。 たとえば、クラウド型電子カルテに診療データを集約して、このビッグデータを解析して医薬品開発・治療法開発する手がある。希少疾患・難病の治療法が日本のデータから見つかるかもしれない。こうしたデータから生まれた医薬品・医療機器等を、あるいはデータ自体を有力な貿易財にできれば医療費に充当できる(個人情報を完全匿名化するのが前提だ)。 この例は私が十年前に学生起業した際の社会問題解決の方策だった。クラウド型電子カルテを通じて「仮想上に世界一大きな病院兼研究所ができ、日本の医療費を補塡できる」というビジョンだった。なお十年前には、セキュリティ問題をクリアできない可能性が浮上し、実用化を断念したという失敗談でもある。 だが、重要なのは失敗か成功かではない。価値有限思考によって「社会問題は解決できない」と思い込むと、こうしたアイデアはひとつも出てこなくなるということだ。 他にも、そもそも高齢者の方々が若年層と変わらないくらいに活躍できるような健康技術を開発してもいい。高齢者の方々が遊び感覚で一生働きたくなるような産業用遠隔操作ロボットを開発する手もある。介護にしても「自分で遠隔操作したロボットで自分を介護する」という未来もありうる。 超高齢社会の問題以外にも、格差や環境の問題など日本には問題が山積みだ。 しかし、無限の価値創造を目指して、価値創造の障害となるさまざまな対立を取り除いていけば、そうした社会問題の数々にも少なくとも解決の糸口が見つかる。 先ほどの例のように、どんな問題も一旦は「幸いにも○○だ」と無理やり良い文脈に変えてしまい、その文脈を利己的なものから利他的に(誰からも応援されるようなものに)変えてみるだけでも、価値創造が絶対にできない対象などないことが分かる。 その上で、自分の中で、あるいは他者と、何らかの対立が起きてしまったときには「究極の目的は何か」を問いなおせばいい。 『世界は経営でできている』の比喩で繰り返したように、究極の目的に立ち返り、対立する手段、対立する意見がそれぞれどう目的に寄与しているのかを考えればいい。手段自体ではなく「手段の目的への寄与・役割」に着目すれば、思ってもみなかった解決策が思いつく。 どんな人にとっても、人生の究極の目的は幸せ(=価値)にあるのだから、解消できない対立は本来ないはずだ。 つづく「老後の人生を「成功する人」と「失敗する人」の意外な違い」では、なぜ定年後の人生で「大きな差」が出てしまうのか、なぜ老後の人生を幸せに過ごすには「経営思考」が必要なのか、深く掘り下げる。
岩尾 俊兵(慶應義塾大学商学部准教授)