水谷豊×松田美智子「娘・趣里の存在が、芸能界に居続ける原動力に。優作ちゃんが膀胱がんの治療で入院中、病院の屋上で何度も語り合った」
放送24年目に突入したドラマ『相棒』で主演を務める水谷豊さんは、昨年古稀を迎えた。こんなに長く、第一線で活躍を続けられる理由とは――。このほど水谷さんへのインタビューを本にまとめた作家の松田美智子さんが、その秘密に迫る(構成:篠藤ゆり 撮影:大河内 禎) 【写真】腕を組み微笑む水谷さん * * * * * * * ◆俳優にとって最高の誉め言葉は 松田 今回、『傷だらけの天使』の乾亨、『熱中時代』教師編(78~81年)の北野広大、『相棒』(2000年~)の杉下右京など、膨大な出演作を改めて振り返って感じたのは、設定も役柄もまったく違うけれど、基本的に豊ちゃんは豊ちゃんで、変わらないということ。 水谷 『傷だらけの天使』で共演した岸田森さんから、「何を演じても豊は豊のままでいてほしい」と言われたんです。「芝居してないんですか」「地でやってるんですか」と言われることこそ、俳優にとって最高の誉め言葉なのだと解釈しました。 だから刑事役であれ教師役であれ、「自分ならどうするだろう」と発想します。無理に自分らしくないことをしても、観ている人にはバレてしまいますから。 松田 若い頃から先輩方にかわいがられてきたのは、何をするにしても誠実だからでしょうね。『男たちの旅路』(76~79年)で共演した鶴田浩二さんが、撮影現場にご家族を連れてこられたことがあって、それは豊ちゃんに会わせたかったからだったとか。 水谷 鶴田さんが亡くなった後に奥様から伺い、びっくりしました。鶴田さんは、どんなに長い台詞でもリハーサルの時には完全に入っていて、台本は持たない。当時の僕は真似できませんでした。 松田 でもその経験が後に、『相棒』の杉下右京の長台詞に繋がっていくわけですね。渡哲也さんも、『相棒』に出演していらっしゃいました。
水谷 渡さんを紹介してくれたのは優作ちゃんです。石原裕次郎さん、渡さん、優作ちゃんが出演していた『大都会PARTII』(77~78年)に出てほしいと優作ちゃんから言われて。日活撮影所での初対面の日、寒いのに僕は半そで姿。渡さんが付き人にそっと耳打ちされたら、肩かけを持ってきてくださった。感激しました。 松田 渡さんは、何度かうちにも見えました。優作から電話があり、突然、「これから渡さんとほかのレギュラー出演者を連れていく」と言われて私はパニックに。刑事の衣装のままの渡哲也さん、高品格さん、小野武彦さん、峰竜太さんが玄関から入ってきて、ものすごく緊張しました。(笑) 水谷 優作ちゃんは毎年自宅で餅つき大会を開いていて、渡さんもご家族を連れてこられた。マミさんの人柄もあって、松田家はさまざまな人が集う場になっていましたね。 松田 懐かしいですね。『赤い激流』(77年)で初共演した宇津井健さんからも、豊ちゃんはずいぶん影響を受けたようで。 水谷 宇津井さんは別れ際に必ず、ユーモアをきかせた一言をおっしゃる。ああいう大人になりたいなと思いました。一方で、「ああはなりたくない」という方もいて……(笑)。大人への反発が強いタイプでしたから。優作ちゃんもそうだったと思いますけど。 松田 それは若さゆえ、という面もあるんでしょうね。 水谷 優作ちゃんが膀胱がんの治療で入院中、病院の屋上で何度も語り合いました。その時、昔は大人に反発していたけれど、今は当時の大人の言動を理解できる、という話になった。 自分たちも大人になり、ようやくその人たちの立場や気持ちがわかるようになった。だから、これからもっといい仕事ができそうだ――そんな話をしていた矢先に亡くなってしまった。まだ40歳でしたからね。早すぎます。