聴き応え満点の1枚 【コラム 音楽の森 柴田克彦】
ロシア国民楽派の“5人組”の1人、ムソルグスキーの交響詩「はげ山の一夜」をご存じだろうか? 「聖ヨハネ祭の夜には悪魔たちがはげ山で酒宴を開く」との伝説に基づく情景を描いたこの曲は、ロシアを代表する管弦楽曲の一つとして広く親しまれている。しかしながら通常聴かれているのは、作曲者の没後に5人組の後輩リムスキー=コルサコフが編曲したもの。オリジナルとはかなり異なる、洗練された音楽になっている。 今回ご紹介するのは、ムソルグスキーのオリジナル版を収録したディスク。しかもここには、1867年に音詩「はげ山における聖ヨハネ祭前夜」として書かれた管弦楽版、1880年に未完の歌劇「ソローチンツィの市」に転用された、バリトン独唱と合唱付きの「若者の夢」という2つの版が収録されている。オリジナル版も徐々に見直されてはいるが、2つの版を併録したケースは大変珍しい。 演奏しているのは、アントニオ・パッパーノ指揮/サンタ・チェチーリア国立アカデミー管弦楽団&合唱団ほか。1959年生まれのパッパーノは、イタリア人を両親にもつイギリスの指揮者で、英国ロイヤル・オペラの音楽監督を長く務める現役屈指の実力者である。サンタ・チェチーリア国立アカデミー管は、イタリアのトップに立つシンフォニー・オーケストラで、2005年からパッパーノが音楽監督を務めていた。 まず1867年の管弦楽版を聴くと、荒々しい迫力に圧倒される。粗野なまでのダイナミズムと生命力に溢(あふ)れた音楽は激烈の一語。現行版になじんだ聴き手はきっと驚かれるに違いない。 一方、1880年版はリムスキー=コルサコフ編曲版の元になったもの。それゆえ1867年版よりは耳慣れた構成に近い。とはいえ、声楽陣の歌声がかつてないほど鮮烈なインパクトを与えてくれる。中でも、中間部のバリトン独唱が加わる部分は実に新鮮だ。 これは、楽曲の変遷の不思議さや編曲者の影響力の大きさを実感させられる、示唆に富んだ内容と言っていい。 なお本ディスクには、リムスキー=コルサコフの代表作である交響組曲「シェエラザード」がカップリングされている。こちらはポピュラーな名曲で、演奏時間的にはメインとも言える作品だが、ここでリムスキー=コルサコフの管弦楽法の妙が示されるあたり、なかなか凝った組み合わせでもある。 演奏自体は、ドラマ作りが巧みなパッパーノならではの濃厚・濃密にして劇的な快演。「シェエラザード」の各楽器のソロも極めて雄弁だ。本ディスクは、コンセプト抜きに接しても、エキサイティングで色彩的な、聴き応え満点の1枚と言えるだろう。 【KyodoWeekly(株式会社共同通信社発行)No.33 & 34 からの転載】 柴田 克彦(しばた・かつひこ)/ 音楽ライター、評論家。雑誌、コンサート・プログラム、CDブックレットなどへの寄稿のほか、講演や講座も受け持つ。著書に「山本直純と小澤征爾」(朝日新書)、「1曲1分でわかる!吹奏楽編曲されているクラシック名曲集」(音楽之友社)。