【名馬列伝】稀代の“貴婦人”ジェンティルドンナ。三冠馬オルフェーヴルに臆さない闘志、有終の美を飾った有馬記念…最強牡馬たちとの激闘譜<後編>
翌13年、いよいよ”貴婦人”は海外へと打って出る。 じっくりと休養をとった彼女は、3月末のドバイミーティングに遠征。”ぶっつけ”でドバイシーマクラシック(G1、メイダン・芝2410m)に出走。ブリーダーズカップ・ターフ(米G1)などG1レース4勝の強豪、アイルランドのセントニコラスアビー(St Nicholas Abbey)との争いになり、いったんは並びかけたものの、そこからは一気に突き放されて2着に甘んじた。 帰国後の宝塚記念(GⅠ、阪神・芝2200m)はゴールドシップの3着、夏の休養を挟んで出走した秋の天皇賞(GⅠ)ではジャスタウェイの2着に敗れたジェンティルドンナ。それまでは岩田康誠を主戦としていたが、連覇がかかるジャパンカップへ臨むにあたって、陣営は短期免許で来日した世界的名手のライアン・ムーアに手綱を託す決断を下した。 この決断が吉と出る。道中はエイシンフラッシュ、トーセンジョーダン、ヴィルシーナを前に見ながら4番手を進むと、手綱を押さえたまま直線へ。そこからじわじわと脚を伸ばして残り300mで先頭に立ち、外から急襲してきた3歳牝馬のデニムアンドルビーをわずかにハナ差抑えてゴール。ジャパンカップ史上初となる連覇を果たしたのだった。 この年の勝ち鞍はジャパンカップの一つのみだったが、同レースの連覇が強いインパクトを与えることになり、JRA賞最優秀4歳上牝馬のタイトルを獲得した。
ジェンティルドンナ陣営は、5歳となった2014年もドバイ遠征を敢行することを発表。前回と違うのは、遠征前に日本で”ひと叩き”してから向かうことで、2月の京都記念(GⅡ)に参戦するが、やや余裕残しの仕上げも影響したか6着に終わった。 しかし、その後のジェンティルドンナは見込み通りの上昇曲線を描き、ドバイでは万全の仕上がりを見せる。ここで再びライアン・ムーアを鞍上に迎えたドバイシーマクラシックでは、逃げるデニムアンドルビーを前に見て、中団のインコースをキープ。ペースが上がった最終コーナー手前から馬群の外へ持ち出す算段を立てていたようだが、周囲をブロックされていたためそれは果たせず、馬群に包まれたまま直線へ入る。 そして、脚を伸ばしたところで前が詰まる大ピンチを迎えるのだが、ここでムーアは大胆な策に出る。いったん位置を下げて外へ進路を取ったのだ。すると、溜まりに溜まったジェンティルドンナの末脚が爆発。欧州G1戦線を賑わすフランスのトップホース、シリュスデゼーグル(Cirrus des Aigles)とデニムアンドルビーを差し切って、2年越しのリベンジを果たしたのだった。 帰国後のジェンティルドンナは精彩を欠いた。川田将雅とコンビを組んだ宝塚記念は直線で伸びを欠いて9着に大敗。天皇賞(秋)は先行策からいったんは先頭に躍り出たが、猛追したスピルバーグに3/4馬身差し切られて2着に惜敗。そして、3連覇の偉業を目指したジャパンカップでは三たびライアン・ムーアを鞍上に招いたが、エピファネイア、ジャスタウェイ、スピルバーグの古馬牡馬の壁に阻まれて4着に終わった。 秋シーズンの前に、石坂調教師はジェンティルドンナは天皇賞とジャパンカップを使って現役を引退するというプランを発表していた。しかし、一部メディアに「ジェンティルドンナは終わった」「衰えた」と報じられたことに対して大いに反発。オーナーサイドと協議の末、シーズン前に発表したプランを撤回して、年末の有馬記念をラストランとすることを決断したのである。