日本三大酒処・京都伏見で「できたての新酒」を味わう――おトクな飲み放題、酒蔵見学も!
● 水に恵まれた「伏水」 伏見を訪れる前に、まずは事前学習から。「京都」駅から南へ6.5kmほどのところに位置する伏見の街は、古来、京の都と大坂や近江を結ぶ水路や陸路がつながる交通の要衝でした。天下統一を果たした豊臣秀吉が、晩年に伏見城を築城して以降、その城下町として、宿場町や港町として発展してきました。 「名水あるところに銘酒あり」。京都市内は地下水が豊富で、15世紀には300軒を超える酒蔵が洛中にありました。今は先ほどご紹介した佐々木酒造と松井酒造の2蔵しか京都中心市街地には残っていませんが、良質な地下水に恵まれて「伏水」とも記された伏見が京の酒づくりの歴史を受け継いでいます、 伏見での酒づくりは江戸時代に盛んになりましたが、幕末期の動乱や米不足により、蔵の数は4分の1ほどに減ったといいます。現在、伏見酒造組合には21蔵が所属しています。全国的に流通しているブランドとして、「月桂冠」(月桂冠)、「松竹梅」(宝酒造)、「黄桜」(黄桜)が名を馳せる一方で、2023年春に「十石(じっこく)」ブランドで再出発した松山酒造といった小規模の蔵も。ここには名前が見えませんが、すべて生酛純米造りの「日日(にちにち)」ブランドで3年前から醸し始めた日々醸造という新しい蔵もあります。 伏見は、兵庫の灘(なだ)、広島の西条(さいじょう)と並ぶ日本三大酒処。海の影響でミネラル分を多く含む硬水を使うため発酵が速く、辛口のお酒となる「男酒」の灘に対して、ほどよいミネラル分の中硬水で、ゆるやかな発酵でほんのり甘さすら感じられる「女酒」の伏見。同じ近畿圏でも対照的な味わいは、神戸と京都の雰囲気を感じさせます。 まずは伏見の氏神で道中の安全を祈念し、名水「御香水」を口に含んでから、酒蔵巡りの旅に出かけましょう。
● まずは伏見の氏神様の御香水から 伏見大手筋商店街を東に向かい、京阪と近鉄の線路を越えると、左手に見えてくるのが、伏見の氏神様である御香宮(ごこうのみや)神社です。伏見の銘酒に浸る前に、道中の無事を祈念しておきましょう。 この社は水にゆかりがあります。平安初期の862(貞観4)年、この地にえもいわれぬ芳しい香りを放つ泉が湧き出しました。飲めばあらゆる病が治ると評判を呼び、時の帝であった第56代清和天皇から「御香宮」の名を賜ったという逸話が御香宮神社の起源です。御祭神は、第14代仲哀天皇后の神功皇后。才色兼備に加え、ご懐妊中に三韓征伐も成し遂げた強きスーパーウーマンであることから、安産と子育ての神様としても信仰を集めています。 本殿のすぐそばにこんこんと湧き出る「御香水」を手のひらに受けてひと口飲んでみると、クセのない、やわらかな口あたり。日本名水百選に選定されているのもうなずけます。隣接する社務所では、「お持ち帰り用ペットボトル」を授与してもらえますので、道中のお供に水を汲んでおきたい方はお求めを。御香水に浮かべると、神功皇后のお告げが浮かび上がる「水占い」も試してみてはいかがでしょうか。 御香宮神社の表門の西側には、「黒田節」誕生の地の立て看板が。「酒は飲め飲め飲むならば 日の本一のこの槍を 飲みとる程に飲むならば これぞまことの黒田武士~♪」という冒頭のワンフレーズを酒席で耳にしたことがある方も少なくないのでは。 賤ケ岳の七本槍の一人として豊臣秀吉に仕え、徳川時代には安芸広島藩主と信濃高井野藩主を務めた福島正則が、自身の屋敷で酒宴を開いたときのこと。正則から大きな鉢になみなみと注がれた酒を飲み干すよう促された福岡藩黒田家の家臣である母里太兵衛(もりたへえ)は、「あの槍をいただけるなら」と条件を提示。正則が酔った勢いでOKと答えると、太兵衛は見事に鉢一杯の酒を飲み干し、槍を福岡藩に持ち帰りました。 しかしその槍は、主君である秀吉公から賜った名品。酔いが覚めて正気に戻った正則は、幾度も返してくれと交渉したものの、叶うことはありませんでした。お酒はほどほどに、と肝にも銘じつつ、歩みを進めましょう。