リリー・フランキー「懐古的な想いではなく、文化という、人々の未来の為に」家族経営の老舗映画館「昭和館」が火災を乗り越え復活する日
昭和館は、ゼロから立ち上がります
悲しいこともありました。 3月23日、奈良岡朋子さんがお亡くなりになったのです。 「昭和館は小倉の文化財であるとともに、日本の映画人にとって故郷の場所です。この小さな映画館を一緒に守っていきましょう。皆さまのお力をお貸しください」 うちのクラウドファンディングに、こんなにも心のこもったメッセージをいただいたばかりなのに……。 奈良岡さんが昭和館にいらっしゃったのは、2017年。太平洋戦争をテーマにした特集上映で、特攻隊の生き残りを描いた『ホタル』では、高倉健と共演されていました。 お亡くなりになる直前、寄付をしたいという申し出がありました。さすがに義援金の口座はお伝えできなかったのですが、クラウドファンディングのご支援をいただいていることに、あとで気がつきました。 新しい昭和館には、亡くなった方々の「想い」もこめたい。 大杉漣さん……。 言わずと知れた名優で、亡くなったのは5年前。 そのときに最後の主演作になっていたのが『グッバイエレジー』でした。オール北九州ロケで、旦過市場はもちろん、昔の昭和館も登場します。藤吉久美子さんが、わたしの館主役を演じてくれました。 うちが焼けたあと、大杉さんの奥さまから、お手紙をいただきました。そこには「大杉と相談して、お見舞いさせていただきます」と書いてありました。 4月12日、地鎮祭。 当初の予定より、およそ2週間の遅れで、いよいよ工事がはじまります。施主は昭和土地建物ですから、今井社長が中心。タムタムデザインの田村さん、施工会社ATSの佐々木和子社長、うちの父と直樹も参加しています。 手水の儀からはじまって、穢れを祓い、祭壇に神さまをお招きし、お供え……と、厳粛な儀式が進みます。 祝詞をあげて、四方を清めてから、地鎮の儀をおこないます。 今井社長が鎌をつかって、わたしたち家族3代が「エイッ、エイッ」と鍬を入れます。さらにタムタムさんが鋤を、最後に施工会社が杭を打ちこむ……。 北九州市長の武内和久さん、市の文化局長、旦過市場商店街の黒瀬善裕会長など、みなさまが集まっています。 玉串を捧げたあと、武内市長の挨拶では、小倉織の式辞台紙を持って、昭和館は「このまちの文化だ」とおっしゃいました。今井社長は用意したメモを握りしめて、訥々と想いを語ってくださいます。 わたしは最後に「感謝しかありません」と申し上げました。メモを用意するとしゃべれなくなるので、正直に胸のうちを語ります。 今井社長のご決断は、昭和館のためだけではありません。旦過地区のため、このまちのため、このまちの文化のため、決断してくださったこと。その想いを一緒に受け止めて、これからも務めてまいりますと話しました。 ここでやめればよかったのですが、メディアの方々にも、お礼を申し上げます。 火災の日からずっと、わたしの姿を追っていただきました。心配してくださる市民のみなさまに、樋口がどうしているかを伝えていただきました。 そのおかげで、みなさまからご支援をいただきました。 これから昭和館は、ゼロから立ち上がります。楽しいことばかりです。こんな機会はありませんので、どうか、わたしたちのようすを見ていただいて、みなさまにお伝えください……。 この日は「地鎮祭、小倉昭和館」の紅白饅頭を、湖月堂さんに用意してもらって、関係者やメディアの方々にお配りしました。 たくさんつくったのに足りなくて、もっとほしいという父のために、追加で注文しています。 まだ、昭和館の瓦礫があった頃……。 神さまに、天に上がっていただく儀式をしました。 古い建物が燃えて、神棚が燃えて……。うちから神さまがいなくなったのがつらくて、あのときに一度だけ、わたしは嗚咽しています。父も肩を震わせていたそうです。 神さまはもどってくださるのでしょうか。 写真/shutterstock ---------- 樋口智巳(ひぐち ともみ) 1960年生まれ、福岡県北九州市小倉出身。小倉昭和館の三代目館主。2022年8月、83年もの歴史ある建物を焼失。まちの人たちと、多くの映画人たちに支えられ、2023年12月に再開する。 ----------