“不仲エピソード”だらけの昭和演歌二大巨頭 「三波春夫」に先立たれた「村田英雄」が思わず漏らした一言
2人を握手させた日本興行界のドン
この2人の対立に“雪解け”が訪れたのが昭和51年10月。日本興行界のドン・永田貞雄が中に入り、突然の手打ちを果したのだ。 それは、永田の子息の結婚披露宴の席上だった。永田は、共に出席していた三波、村田両人を舞台に招き、2人に向かい、 「あんたたちはどっちも浪曲から出て日本一になった2人なんだから、これからも仲良く手をつないでやっておくれよ」 と言って、2人を握手させたのだ。 昭和57年にもNHKの歌番組で手打ちショーを行ない、長年の犬猿の仲も恩讐の彼方かと思いきや、昭和63年になって再び雲行きが怪しくなった。 ことの起こりは、その前年に、紅白出場辞退を宣言した三波に対し、村田が、「紅白こそ、歌い手の証を示す最高の舞台だ。理由は何であれ、歌っている以上、絶対に出るべきだ。あれでは負け犬と同じじゃないか」と噛みついたこと。 すわ、ケンカの再燃か? と芸能マスコミは色めき立ったが、村田側は、真意が曲げられて伝えられたと言い、三波側は、「紅白に出るか出ないか、考え方は十人十色。2人の仲は別に悪くない」とかわして、火種を消すのに懸命だった。
暗黙の了解はきちんとついていた
しかし、本当のところ、2人の仲はどうだったのか、なぜライバル視されるようになったのか。これには、村田英雄自身の解説が的を射ている。 「なぜ、俺と三波がライバルに見られたか、というと同じ浪曲畑から歌謡界へ転進、のケースだからさ。(中略)その上、風貌、性格、雰囲気などの違いも取り上げられる。俺はゴツイ、三波はソフト、といった対比だよ。(中略)八方破れで遊び好きの俺、堅実で蓄財型の三波といった具合だ。酒を飲み、ギャンブルに狂う俺。片方は、禁酒禁煙、ゴルフが趣味で品行方正、落差があるよ。 女のほうにかけても、決して人後に落ちない俺。堂々と、どこへでも出かけて遊ぶ。三波は、前座の女性歌手との仲が怪しい、と噂が出たとたんに、『そういう噂の出るのは、わたしの不徳です』。即座にその歌手をクビにしたんだよ。エライ……。俺なら、『そうか、でも、俺のタイプじゃない』。そういって、平気でそのまま前座を務めさせるよ。ワハハハハ。(中略) ま、そういうことで、俺と三波は犬猿の仲のライバル、というのが世間の通り相場になったんだ。だがね、ふたりは、全然そんなことはない。大笑いしながら、『どうぞ、どうぞ、いわせるものにはいわせておけばいい』。暗黙の了解はきちんとついていたんだよ」(双葉社「週刊大衆」平成5年4月26日号)