25年ぶりセ・リーグ優勝へ秒読み 赤く染まる広島のまち
プロ野球広島東洋カープのセ・リーグ優勝が目前に迫ってきた。優勝マジックは4となり、早ければ、あす7日にも25年ぶりリーグ制覇が決まる。あまりに長かったこれまでの道のりと、歓喜の瞬間を待つ地元ファンの思いを取材した。 没後20年 炎のストッパー津田恒実を偲ぶ
原爆からの復興目指して創設 球団経営は苦難の連続
まさか、こんなに長い間、優勝出来ないとは思わなかった……。1970年代から1991年の『カープ黄金期』を覚えている世代は口を揃える。25年はあまりに長く、若手の選手とファンにとって優勝は初体験だ。 広島東洋カープは他の球団と比べて特殊なチームだといわれる。原爆で焼け野原になった広島市の復興を目指し、終戦から5年後の1950年に創設。他の球団のように親会社を持たないため資金提供が無く、球団経営は常に苦難の連続だった。それでも「広島に居てくれる唯一のプロ野球チーム」として市民に愛され、そして支えられてきた経緯がある。
初優勝からの黄金期一転 巨人「メークドラマ」演出役になったことも
初優勝は1975年。奇しくも今回のリーグ優勝と同じ、25年がかりの事。その時は平和大通りでパレードが行われ、およそ30万人のファンが集まったという。(ちなみに当時の広島市の人口は85万人)。その初優勝から1991年のリーグ優勝までの17年間は、後に「カープ黄金期」と言われ、6度のリーグ優勝と3度の日本一を経験した。またAクラス入りは17年でなんと15回。4位以下に落ちたのは1977年(5位)と1982年(4位)のたった2回だけだった。 それから25年、リーグ優勝から遠ざかった空白の時間。なぜ勝てなかったのか。それは球団・選手・ファンそれぞれの思惑にまかせよう。勿論みんな頑張っていた。しかし1996年には中盤まで11.5ゲーム差をつけていた巨人に逆転され、後に流行語になる「メークドラマ」の演出役になるなどどうしてもリーグ優勝に届かなかった事実だけがある。
観客「ガラガラ」の時期も 新球場完成が転機
そして、強い時代を知るファンは、広島市民球場の老朽化もあり野球観戦から離れてゆく。人気の在京球団以外の対戦カードでは、平日は観客が半分にも満たない「ガラガラ」の状態で、かろうじて週末に家族づれで賑わう程度。それは2009年の新球場『MAZDA Zoom-Zoomスタジアム広島』の竣工まで続き、選手と球団の経営を苦しめた。 2009年、新球場が完成すると大きな変化が起こる。真新しい広く綺麗な球場に観客が戻り、地元の官民あげての応援が始まる。そしてユニフォーム等の球団グッズ戦略がヒットして球団の経営が安定すると、チーム戦力も徐々に充実し2013年には3位のAクラスに入るが、それは実に16年ぶりの事だった。