すばらしかった竹田利秋監督の平等主義 招待試合で完封、順調だったプロ野球選手への道 話の肖像画 夢グループ創業者・石田重廣<8>
《試合に出るようになった》
一番の思い出は夏の大会が終わって新チームになり、岩手県陸前高田市でやった招待試合です。僕はこの試合で先発し、9回をヒット1本で完封したんです。「これから石田の時代がくるぞ」なんてみんなから言われてね。でも、自分の中では運が良かったと思っていたの。海岸に球場があって、ちょうど海風がホームから僕をめがけて吹いていたんですよ。だから変化球がよく曲がる。カーブとかシュートとか、キュンキュンと曲がった。まだこれは実力じゃないぞ、と。
中学生まで本格的な練習をしていなかったので、毎日が学ぶことばかりで楽しかったですね。プロ野球選手への道を順調に進んでいると思っていました。ところがその後、思わぬことで僕は学校を去ることになってしまうのです。(聞き手 大野正利)
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