勘九郎・七之助8年ぶりの明治座公演上演中! 「明治座 十一月花形歌舞伎」昼の部『一本刀土俵入』観劇レポート
11月2日に初日を迎えた明治座11月公演「明治座 十一月花形歌舞伎」が連日大勢の客でにぎわっている。昼の部は『菅原伝授手習鑑 車引』、『一本刀土俵入』、『藤娘』、夜の部は『鎌倉三代記』「絹川村閑居の場」『お染の七役』と人気の狂言が並び、中村勘九郎、中村七之助をはじめ一座の顔ぶれも華やかだ。 【全ての写真】「明治座 十一月花形歌舞伎」昼の部『一本刀土俵入』より 昼の部の二幕目は『一本刀土俵入(いっぽんがたなどひょういり)』。長谷川伸の人気作だ。主人公の駒形茂兵衛を勤めるのは中村勘九郎。祖父の十七世中村勘三郎や父の十八世中村勘三郎から受け継がれた、中村屋にとって大事な狂言だ。 相撲の親方に追い出された一文無しの駒形茂兵衛(勘九郎)。空腹のままふらふら歩いてたどり着いた取手の宿の安孫子屋で、ひょんなことから酌婦のお蔦(中村七之助)に出会う。ゆきずりの茂兵衛の身の上に同情したお蔦は、挿していた櫛簪や持ち金すべてを茂兵衛にめぐんでやる。恩義を感じ茂兵衛は「必ず横綱になる」と誓い、何度も礼をいいながら立ち去っていく。十年後、相撲取りの道を捨て渡世人となっていた茂兵衛。一方お蔦とその子お君、そしてお蔦の夫の辰三郎(坂東彦三郎)は、渡世人の親分・浪一里儀十(喜多村緑郎)一味に追われていて……。 幕が開くと舞台は利根川にほど近い宿場町の取手の裏通り、戸袋に鏝絵の描かれた旅籠茶屋の安孫子屋。通りを行きかう一人ひとりがリアルに息づいており、勘九郎が取材会で「群像劇としてお見せしたい」とコメントしていたように、どの人物にスポットを当ててもそれぞれの人生が垣間見えるようだ。江戸ではなく、あくまでも利根川沿いの宿場町のその風情に、一気に物語の世界へいざなわれる。 からりと安孫子屋の二階の一間の障子が空いたかと思うと、姿を現したのは手酌で飲んでいる酌婦のお蔦。場末の旅籠茶屋の酌婦らしく、どこかしら生き飽いたような雰囲気が漂っている。たまたまそこへ取り的(見習いの相撲取り)の駒形茂兵衛が通りかかる。安孫子屋の前で起きたトラブルに巻き込まれた縁で、お蔦にこれまでの身の上を語る。茂兵衛は生まれ故郷の上州訛り。お蔦の使う言葉も取手か八尾のそれなのか、江戸弁ではないようだ。お蔦からすれば最初は気まぐれな同情だったかもしれない。だが次第にふたりの間に、故郷からはじき出された者にしかわからない生きることの苦みが通い合ったように見えた。茂兵衛が行ってしまってからも、お蔦はひとり窓辺に腰かけ冷酒をあおっている。三味線を爪弾きおわら節を口ずさむ後ろ姿に、やるせない寂しさが滲んだ。 この時の茂兵衛はひたすらに純朴な、世間を知らない取り的だった。しかし十年後の茂兵衛は別人のよう。我孫子にほど近い七里の渡し場に、すっきりと様子の変わった茂兵衛が現れる。花道を出てきただけでただ者ではない空気を放つ。スッと姿勢も良く目線鋭く、上州訛りもすっかり消えた渡世人だった。 大工や船頭にはあくまでも礼儀正しくふるまうが、浪一里儀十の子分・掘下根吉たちを相手のやりとりは、明らかに堅気のそれではない一つひとつの言葉がその場の空気を一気に塗り替えてしまう。 「次第によっちゃ勘弁する。次第によっちゃあ勘弁ならねえ。というのは改めて言うまでもねえことだが、ブ職同士のことだからな。ええ、そうでござんしょう」と、諭すように言ったかと思うと、「そうだろうが!」と鋭く言い放つ。その剣幕、凄みに子分たちは震え上がり、客席にもビクッと緊張が走る。この間年若の堀下根吉だけが、茂兵衛の人としての大きさ、渡世人としての凄みに感じ入っているのが伝わってくる。きっとこの男もそのうちのこの世界で、のし上がっていくのだろう。 お蔦の家で再会する茂兵衛とお蔦。だがお蔦は茂兵衛のことをどうしても思い出せない。一体誰だったか、十年前に何があったのか。お蔦のもどかしさと、「早く思い出して!」という客席のテンションがひとつになった瞬間、あることがきっかけでお蔦は安孫子屋で出会った青年だと覚る。客席にもワッ!と安堵が広がる。 「十年前に櫛簪、巾着ぐるみ、意見をもらった姐さんに、せめて見てもらう駒形の、しがねえ姿の、横綱の土俵入りでござんす」との全身全霊を込めた言葉に、お蔦へ感謝の気持ちと、渡世人になっても抱き続けている矜持がにじむ。桜が舞い散る中、親子三人が逃げていく道のりを、ずっと見守る茂兵衛の姿が目に焼き付いて離れない。 「明治座 十一月花形歌舞伎」は今月26日まで。 取材・文:五十川晶子 <公演情報> 『明治座 十一月花形歌舞伎』 2024年11月2日(土)~11月26日(火) ※11月11日(月)・20日(水)休演 開演時間:昼の部 11:00 / 夜の部 16:00 会場:東京・明治座