駐中国大使が離任…「残した言葉」を東アジアウォッチャーが読み解く
ジェットコースターではなく普通列車のように
その垂秀夫大使は、北京を離れる前に、記者会見を行っている。 「摩擦や意見の相違は恐れる必要はない。国が違う以上、時には立場の相違や摩擦があるのは自然だ。恐れなければいけないのは、日中間の意思疎通がなくなることだ」 「日中関係は上がったり、下がったりのジェットコースターであるべきではない。普通列車のように、しっかりと安定的な関係を構築すべきだ」 「国が違う以上、立場の相違や摩擦があるのは自然だ」。これで思い出すのは、1972年の国交正常化の時のこと。中国首相の周恩来は、基本原則として「小異を残しつつ、大同に就く」という言葉を残している。 「大同小異」。日本では「小異を捨てて大同に就く」というニュアンスで使われることが多い。だが、中国では少し違う。周恩来が言いたかったのは、「小異」(=小さな相違)は捨ててしまうのではない。ちゃんと違いを理解する。そのことを常に頭に置きながら、乗り越えて「大同」、つまり友好と協力を築こうということだ。垂大使が退任前に残した言葉と、同じではないか。 北京在任3年間を終え、垂氏は、やり残したこともあるはずだが、日本人、それに中国人に伝言を置いていったような気がする。「日中関係を上がったり、下がったりのジェットコースターにしないためにも」だ。今回は、一人の異色の中国大使の離任から、日中関係を考えた。
◎飯田和郎(いいだ・かずお)
1960年生まれ。毎日新聞社で記者生活をスタートし佐賀、福岡両県での勤務を経て外信部へ。北京に計2回7年間、台北に3年間、特派員として駐在した。RKB毎日放送移籍後は報道局長、解説委員長などを歴任した。