<水と戦争>「死海は死につつある」 縮み続ける湖、パレスチナ問題の犠牲に
「水」が希少な中東で、パレスチナ問題が水資源やインフラに悪影響を与え、ガザ戦闘がそれに拍車をかけています。 【写真まとめ】世界的な観光名所の死海、水不足で危機に × × × 中東に地上で最も標高が低い場所がある。死海だ。イスラエルとヨルダン、そしてパレスチナ自治区に挟まれたこの湖は、海水の約10倍の塩分を含み、水に入ると簡単に体が浮かぶ。世界的な知名度をほこる観光名所だが、圧倒的な水不足により縮小を続けていることはあまり知られていない。専門家らはこう語る。「死海は死んでいっている」 5月下旬、イスラエル東部の死海沿岸を訪ねると、多くの市民がビーチでくつろいでいた。死海の水は少しトロリとしていて濁っている。足を踏み入れると、傷口に塩水がしみた。水は舌がピリッとするほど塩辛く、やや苦い。 「死海は奇跡だ。ここで泳ぐと持病の頭痛も緩和される。なくなるなんて悲しいことだよ」。テルアビブから来たトラック運転手、ヤコブさん(53)はこう嘆き、ビーチ近くにある高さ約10メートルのがけを指さした。「昔、水はあそこまであったんだ」 死海の研究を続けるヨルダン大のエリアス・サラメ教授によると、死海の水位はかつて海抜マイナス395メートルだった。だが、1960年代から水位の低下が始まり、現在は海抜マイナス438メートル。約950平方キロだった湖面の広さは約600平方キロとなり、3分の2に縮小した。福岡市とほぼ同じ面積が失われた計算だ。そして現在も死海の水位は年間1メートル以上のペースで下がっている。 死海はなぜ小さくなっているのか。背景にあるのは、流域国によるし烈な水資源争いだ。 死海にとって最大の水源は、レバノン東部の山脈地帯から注ぐヨルダン川だった。イスラエルのガリラヤ湖を経由し、シリア南西部から流れる支流ヤルムーク川と合流して死海へと流れ込む。この水量が水面からの蒸発分を補い、長年にわたり水位が保たれていた。 この地でユダヤ人国家としてイスラエルが建国されたのは1948年。「(イスラエル南部)ネゲブ砂漠に花を咲かせる」(ベングリオン初代首相)と夢見たこの国は64年、ガリラヤ湖から南部まで約130キロに及ぶ国営水路を完成させた。一方、対岸のヨルダンはその2年後、ヤルムーク川から運河を造り、自国の水源とした。さらに上流のシリアもヤルムーク川沿いにヨルダンとの合意を上回る数十のダムを建設し、水資源を確保。ヨルダン川の水量はかつての1割程度にまで激減した。 流域国は55年、米国の仲介でヨルダン川の取水量を制限しようとしたこともある。だが結局、合意締結には至らなかった。アラブ諸国が合意を交わせば、敵対するイスラエルを「国家」として認めることになるからだ。ヨルダンとイスラエルは94年、平和条約を結んで国交を樹立し、両国の水利権についても定めたが、死海再生に向けて取水量を制限する方向にはならなかった。 昨年10月からパレスチナ自治区ガザ地区で戦争が続く中、イスラエルとアラブ諸国の連携はいっそう難しくなっている。サラメ教授は語る。「パレスチナ問題が解決されなければ、事態は改善されない。死海の縮小は地政学の問題だ」 そして、死海の水位低下は、沿岸部で奇妙な災害ももたらしていた。【死海沿岸部で金子淳】