「なぜ救えなかったの?」と問われ続けた 8人を津波で失った高校水泳部、「生き残った」元顧問の13年 #知り続ける
部員の墓前で、背中を押された
畠山はその後も高田高校水泳部の顧問を務めた。 3年後、盛岡市内の定時制高校に異動してからも、亡くなった部員すべてのお墓を探し当て、花を供えてきた。 震災から10年を迎えた2021年3月、夫と一緒に、津波で亡くなった部員たちのお墓を回った。写真を撮ってもらおうと夫にカメラを渡すと、「ほら、もっと笑って」と言われ、憤った。 「なんて非常識なの? こんな場所で笑えるわけないじゃない!」 すると、夫は言った。 「君がいつまでもそんな顔をしていたら、天国の水泳部員たちも、ずっと悲しい気持ちでいなければいけないじゃない」 ハッとした。何もわかっていないのは、自分かもしれない。 水泳部員たちに背中を押されたような気がした。 畠山は22年3月、教員を辞めた。「広い世界を見てみたい」と単身でベトナムに渡って約9カ月間、日本語の教師を勤めた。 昨夏に帰国し、冬に再び水泳部員たちのお墓を回る。 「これまで本当に色々あったね」 亡くなった部員のお墓の一つは、墓石が透き通った青色だ。みんなで練習した、夏の光を反射するプールのようにも見える。 「またみんなで泳ぎたいね」 畠山がそう言うと、粉雪が舞い始めた。 (この記事は朝日新聞とYahoo!ニュースによる共同連携企画です)
三浦英之