「なぜ救えなかったの?」と問われ続けた 8人を津波で失った高校水泳部、「生き残った」元顧問の13年 #知り続ける
号泣した1年生部員「みんな死んじゃった」
車でプールへと走り去る小野寺を見たもう一人の顧問、畠山は、高台にある第2グラウンドで一晩を明かした。野球部の合宿所にあった米と鍋で食事を作り、たき火で寒さをしのいだ。 翌朝から市内の避難所を回り、安否のわからない水泳部員や小野寺を捜した。 震災当日に部活動を休んでいた1年生部員と避難所で再会した。部員は畠山を見るなり号泣した。 「部活休んだから、私だけ助かって、みんな死んじゃった……」 部員たちの死は、主に報道で知らされた。畠山は泣きながら、日付と発見場所を自分のノートに書き込んでいった。 3月18日=2年生女子部員2人(共に市民会館)▽22日=2年生女子部員(市民会館)、同(郵便局付近)▽25日=1年生女子部員(高田病院付近)▽30日=2年生男子部員(竹駒ローソン付近)。 「私、この先一体どうすればいいの……」。恐怖と悲しみで押し潰されそうになった。 そんな時、高校の授業が再開されることになり、急きょ、職場に復帰しなければならなくなった。
「私、泳ぎたい……」
水泳部は廃部になるだろうと思われていた。津波から生還した水泳部員もいるが、仲間の命を奪った水に恐怖感を抱くに違いない。学校近くのプールも被害に遭い、そもそも練習ができない。 「ねぇ、部活どうしたい?」 部員たちに聞くと、生還した女子部員は即答した。 「先生、私、泳ぎたい……」 女子部員は自宅を流され、大好きだった親類を失っていた。震災直後からずっと窮屈な避難所暮らしで、恐怖や悲しみに押し潰されそうなのだという。 静かな場所に行きたい。そう考えて浮かぶのが、プールの中。思い切り体を動かし、何もかも忘れたい。 「じゃあ、泳ごう!」 畠山はすぐさま練習のできる場所を探した。すると、大船渡市と釜石市に被害を免れたプールがあることがわかった。 岩手県の高校総体は予定通り6月に実施されることになっていた。支援のバスに乗せてもらい、水泳部員たちとプールに通った。沿岸部の道路は寸断され、往復で2時間以上。練習時間は30分も取れない。それでも水泳部員たちは無心で泳ぎ続けた。 「ああ、気持ちいい」。最初にプールに入った時、部員たちは言った。「これでようやく息が吸える」。くたくたになるまで体を動かし、何も考えずに避難所で眠った。 6月の高校総体。出場した部員たちは決して良いタイムを出せなかったが、試合後はみんなで大泣きした。