能登半島地震、初動対応に問題も 防災研究の第一人者は「発災からこれまで」と「これから」をどう見るか
物資が十分に届いていない避難所や看護師などのケアのスタッフがいない避難所もありました。ボランティアを規制したことで細かい支援が行き届かなかったのだと感じています。本来は物資と同時に人も大量に投入しなければいけません。 SNS上ではボランティアに行く人が悪者のようにされていました。被災地には困っている人がいます。被災地に迷惑をかけない知識を持ち、トイレや食事などを自ら補える「自己完結型」のボランティアはどんどん入るべきでした。それなのに国、県、ボランティア組織までもが「ボランティアには行かないで」というメッセージを出してしまいました。意志のある人も世間の意見に左右されてしまった。禁止というメッセージだけでなく、「心得をわきまえ、安全対策を講じて参加するように」など提示の仕方を考えるべきでした。 石川県がボランティアセンターを設置しましたが、1万人を超える一般の応募に対し、実際に活動できているのは限られた人数です。今は、七尾市などは電車でも行けます。私たちが被災地に行った際に、手を握るだけで涙を流す被災者がたくさんいました。みんな助けを求めています。
災害に対して不心得なボランティアが増えてしまうと「信頼できないから来ないで」となってしまいます。ボランティアの在り方が厳しく問われています。 ▽住民の合意形成を優先的に 仮設住宅の建設や入居も阪神大震災の時に比べて遅れていますが、復興に向けて、地域住民の合意形成を図るなど注意しなければならないことがあります。 阪神大震災では、仮設住宅の入居を抽選にし、高齢者や障害者などを優先しました。その結果、コミュニティーはつぶれました。行政は住民がどこにいるのかを追えなくなり、高齢者の孤独にもつながりました。 新潟県中越地震では避難指示が出た旧山古志村(現・長岡市)が村長を含め村ごと長岡市に避難しました。行政機能も避難先に設けて、約3年後には7割が村に帰還しています。 能登に残りたいという人の気持ちは最大限尊重しなければいけませんが、確実に帰還できるビジョンを示し、安全確保と復興事業を優先して、被災地外でコミュニティーのなかで暮らす必要も考えなければなりません。