「やらなアカン!」高齢化進む村、選挙に立候補した移住者の女性 全国に広がる選挙のない街
福島中央テレビ
今年4月、福島県双葉郡の山あいにある川内村で、村唯一のコンビニエンスストアの前で行きかう車に手を振り続ける女性の姿があった。自分の名前入りのたすきを肩からかけた女性は38歳の1児の母でもあり、村の移住者だ。「村の未来に不安を感じた」と村議会議員の補欠選挙に立候補すると、地元出身の55歳の女性との選挙戦となった。実はこの半年前の村議選で、記録が残る1947年以降で初めて「定数割れ」となる異常事態が起きていた。今、川内村のような多くの地方議会でこうした定員割れが相次いでいる。私たちの一番身近な政治の現場でもある地方議会で選挙の機会がなくなり始めている。議員の顔ぶれがいつも同じ…その状態が続くと「議会が侵食される」と専門家は指摘する。 「見殺しにしてしまった」「たまたま助かった」…津波恐れず家に留まった2人の男性たちの後悔の13年
「やらなアカン!」大阪から避難指示が出された村へ
「移住への不安よりも、被災地のために何かできたらという思いが強くて…」。 福塚裕美子さん(38)が川内村を初めて訪れたのは、福島第一原発事故が起きた2011年の夏だった。村は原発からは20キロほど離れており、事故で一部に避難指示が出されたが、現在は全て解除されている。 当時は東京都内の花屋で働いており、村出身の同僚がイベントを手伝ってほしいと案内してくれたのがきっかけだった。その時に見た、雑草に覆われた田んぼと、様変わりした故郷の光景を見つめ、悲しそうに涙を流す同僚の姿が、川内村と縁もゆかりもない福塚さんの心を動かした。 「やらなアカン!って。田んぼを元の姿に戻す手伝いがしたくて」。 福塚さんは村への移住を決意する。
愛称は“福ちゃん” 村人に愛され、移住を決断
2012年、福塚さんはコメ作りの手伝いをしようと単身で村に移住した。当時、農家の後継ぎのほとんどが村の外へ避難し、戻らないままだった。そこへやってきたのが農業経験ゼロ、当時26歳の福塚さん。田んぼに足をとられ転んでびっしょりと濡れてしまう姿やぎこちない手つきで鍬を持ち耕す姿が、村に残ったじいさんやばあさんには眩しく映った。「若い人で農業をやりたいという人は少ないのに、一生懸命やっている姿が嬉しかったねぇ」。 村の人たちはいつしか“福ちゃん”と呼ぶようになり、一緒に田んぼでお昼ご飯を食べ、農作業を手取り足取り教えるようになった。その後、移住する前から思い描いていた“自分の花屋を開く”という夢を実現するため、福ちゃんはドイツなどに留学した。その後、再び村へ戻り、村で唯一の花屋をオープンさせた。2022年には隣町の男性と結婚し、1児の母となった。 「人がなんでそこに移住するんだろうと思ったら魅力があるワケでしょ、そこに。魅力って人だと思うのよね、すごく。人が魅力だと思うからその魅力の一つになりたいの、川内の」。 福塚さんは力を込める。