コラム「旅作家 小林希の島日和」 古き良き相棒と海を越える
街に暮らしていると、船(定期船)を公共交通機関だと認識する人は少ないのではないかと思う。 私もしかり。島旅を始めて、日本にこれほど多くの船会社があるのかと驚いた。日本旅客船協会に所属している船会社だけで、離島航路の船会社を含めて約500社もある。 船に着目すると、そこから港のあり方や島を取り囲む海の特徴など、広い視野で地域が見えてくるのが面白い。 例えば、瀬戸内海の島々を運航するカーフェリーは、船体が吹き抜けになった造りをしているものが多い。穏やかで凪(な)いだ瀬戸内海では、走航中に波が船内に入ってくることがめったにないので、吹き抜け構造にして船体を軽くしている。 港によく浮桟橋や可動式桟橋が用いられているのは、瀬戸内海は1日の干満差が大きいから。古い港では、雁木(がんぎ)(階段状の桟橋)が見られ、風情を醸し出している。 香川県の讃岐広島に毎月通っていた頃、船舶免許を取得した。いざ操船すると、潮流が複雑だったり、岩礁が多くあったりして、「毎日練習しないと、操船は無理!」と悟った。以前、船員教育を行っている学校である海技教育機構で、「船は、風、波、潮といった自然を理解しなければ乗りこなせない乗り物なので、現代でも帆船を使った訓練をしている」と聞いた。 古来、日本人は船を使い、外の地域と交流や交易をしてきた民族だ。操船や造船の技術があったのは、自然をよく理解していた証しだ。 静岡県沼津市の愛鷹(あしたか)山麓にある3万8千年前の地層から、神津島(こうづしま)産の黒曜石の石器が発見されている。石器時代には、東京都心の南方180キロに位置する伊豆諸島の神津島と本州を航海していたようだ。 いったい、どんな船に乗っていたのだろう。縄文時代の遺跡から丸木舟が出土しているが、さらに古くは葦舟(あしぶね)とも考えられている。「古事記」や「日本書紀」には、日本を「豊葦原之瑞穂国(とよあしはらのみずほのくに)」と記している。「葦が茂り、稲穂がみずみずしく育つ、豊かな国」が、古代の日本だったとすれば、葦を使った舟も身近にあったのかもしれない。 近年は過疎高齢化で、離島航路の乗船者は減少し、航路の廃止や減便といった課題に直面している。当然、港も閑散として、少し寂しい。全国的に船員も減少している。 島へ向かう時、先人と共に歩んできた船の歴史や海に繰り出した彼らの勇気に、たびたび思いを重ねるようになった。 【Kyodo Weekly(株式会社共同通信社発行)No.30 からの転載】 KOBAYASHI Nozomi 1982年生まれ。出版社を退社し2011年末から世界放浪の旅を始め、14年作家デビュー。香川県の離島「広島」で住民たちと「島プロジェクト」を立ち上げ、古民家を再生しゲストハウスをつくるなど、島の活性化にも取り組む。19年日本旅客船協会の船旅アンバサダー、22年島の宝観光連盟の島旅アンバサダー、本州四国連絡高速道路会社主催のせとうちアンバサダー。新刊「もっと!週末海外」(ワニブックス)など著書多数。