元・日産社長の歴史的証言「カルロス・ゴーンが私に託したアドバイス」とは何だったか《話題書「わたしと日産」いよいよ発売》
---------- 高度成長、バブル、経営危機、V字回復、そしてゴーン逮捕──カルロス・ゴーン会長のもと、日産社長を務めた男はそのとき何を考えていたのか? 元・日産社長による衝撃の回顧録『わたしと日産 巨大自動車産業の光と影』が5月15日に刊行される。赤裸々に明かされる白熱の手記の中身を明かそう。グローバル化の渦中にいる全ビジネスマン必携の書だ。(文中敬称略) ---------- 【写真】リーマン・ブラザーズから371億円を詐取し獄中15年の日本人
エコノミークラスで同乗したゴーンとの初対面
1999年6月、経営危機にあえぐ日産を救済するため、カルロス・ゴーンがCOO(最高執行責任者)として日産に着任した。ゴーンはまず、世界中に散在する日産の事業所を自分の目で視察するところから仕事を始める。イギリスでのゴーンとの初対面について、日産の西川廣人・元社長は次のように回想する。 〈ゴーンCOOが視察にやって来るというので、この日本人幹部たちがゴーンと彼に同行するパトリック・ペラタ副社長をうやうやしく歓迎していた。 この時、私はゴーンに初めて会い、挨拶した記憶がある。 私は英北東部ニューカッスルの空港の車寄せでゴーンを待っていた。目の前に日産車が止まり、ゴーンCOOが腹心のペラタ副社長と一緒に姿を現した。彼らはニューカッスルの隣町サンダーランドにある日産の組み立て工場を視察し、次の巡視先であるロンドンの販売会社に移動するため、この空港にやってきたのである。 ローカル便でロンドンのヒースロー空港まで約一時間のフライト。この飛行機に同乗し、ヒースローで出迎える販売会社の社長以下幹部たちに引き継ぐのが私の役目だった。 「欧州日産のサイカワと申します。ロンドンまでご一緒します」 「オーケー、ありがとう」 サンダーランド工場から車で三十分。私を含めて三人でニューカッスルの空港にチェックインし、一時間ほどの空の旅を経てヒースロー空港に到着する。 席はエコノミークラスの三列シートで、窓側からゴーンCOO、ペラタ氏、私の順に座った。 ゴーンは機内ではペラタ氏としきりに「次は販売の方の話だな」などと話し込んでいた。 ゴーンとペラタ氏の会話が途切れがちになったタイミングを見計らって、私から手書きのメモを渡し、ロンドンで待っている幹部の名前と役職をざっと説明した。ほんの数分間だが、これがゴーンと交わした最初の会話らしい会話だった。 「ありがとう。よく分かった」 ゴーンの返事は短かったが、ペラタ氏は私の名前を覚えていて、 「サンキュー、サイカワサン」 と言ってくれたのが印象に残った。 初対面といえば、たったそれだけの時間であり、当時のゴーンCOOとペラタ副社長から見れば、単なる同行者以上でも以下でもなかったに違いない。「サイカワにも、自己紹介の機会ぐらいは用意してやろう」と当時の欧州日産のトップが温情を見せ、アレンジしてくれたのだろう。〉(『わたしと日産』101~102ページ)
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